お義父さんはオオカミ~楸瑛と珠翠の場合~
結婚を報告したい人がいると珠翠が言った時、
楸瑛はそれが邵可のことだとは、思いもしなかった。
だって珠翠は「父のようなひと」と言ったから。
長年珠翠に思いを寄せてきた楸瑛から見れば、
邵可はどちらかと言えば恋敵であって、
父以上の思いを珠翠が抱いていたことなど承知していたからだ。
けれど、当の邵可はいつもの笑顔でにこにこと笑いながら、珠翠におめでとうと言った。
そして少しだけ引き締まった顔で楸瑛に向きなおり、娘をよろしくお願いしますと言った。
「珠翠はね、私と妻の初めての子どもなんですよ。」
「まぁ、邵可様。そのころの話は…。」
恥ずかしがって話を遮ろうとする珠翠に、邵可は
いいじゃないか、楸瑛殿にも知っていただこうよと話を続ける。
「珠翠はね、妻の身の回りの世話をしてくれていたんですよ。
だから私は、妻と娘をいっぺんに手に入れたんです。
だからね珠翠、君が幸せになってくれることは、私はとても嬉しいんだよ。」
そんな邵可の言葉に珠翠は頬を赤く染め、本当に恥ずかしそうに笑った。
ところで、と邵可は再び楸瑛に視線を向ける。
「実は一度楸瑛どのに手合わせをお願いしたいと思っていたのですが、
今日、お願いできませんか?」
邵可の意外な言葉に楸瑛は目を丸くする。
「え、えぇ、構いませんが。」
是と答えながらも、元府庫の主と元将軍の武官では
あまりに自分に有利ではないかと心配になる。
しかし一刻後。楸瑛は自分の甘い考えを呪いたくなった。
「に、二対一とは聞いておりませんでした…。」
防戦しながらそうぼやく楸瑛に、
珠翠の投げた得物が冷たい言葉とともに降りかかる。
「一対一とも申し上げておりませんわ。
それに、この程度の軽い運動なら、何の苦にもなりませんでしょう?」
「ははは、楸瑛殿、この程度で根を上げられるようでは、大事な娘は嫁にはやれませんよ。」
「まぁ、邵可様……」
「しゅ、珠翠殿?
どうして私を攻撃するんです?
それにどうしてそんなに頬を染めるんですか?しゅ、珠翠どの~。」
その時、邵可の投げた得物が跳ね返って方向を変え、
珠翠のほうへと向かったのを楸瑛は見た。
考える間もなく、足が地面を蹴る。
そして。
楸瑛は腕の中の温もりにほっと安堵しながら、確かめる様に言葉を紡ぐ。
「良かった、珠翠殿、ご無事で。」
ところが楸瑛の腕の中にすっぽりと納まった珠翠は、
眦(まなじり)をきっと吊り上げて、左手でどんと楸瑛を突き放す。
「良かった、ではありません。
武人が得物に背中を向けるとは何事ですか?
私が受け止めたから良かった様なものの……。」
そういう珠翠の右手には、先ほどの得物がしっかりと握られている。
「いや、つい、珠翠殿の危機と思ったら体が勝手に……」
まさかこんなところで怒られると思ってもいなかった楸瑛は、しどろもどろになる。
「邵可様が、私に当たるような下手な投擲をなさるわけないじゃありませんか。」
貴方じゃあるまいしと、まだ怒りの収まらない様子の珠翠を見ながら、
流石に楸瑛にも状況が飲み込めてきた。
「え~と、邵可様。もしかして私は、試されたんでしょうか?」
想定外の事態にこめかみに中指を当てながら、恐る恐る邵可の方を見る。
そこにはいつも通りの笑顔。
「試す?何のことでしょうか?珠翠の選んだ相手なら、間違い無いことは分かっていますから。」
でも、と邵可は続ける。
「大事な娘を守ってくださるのかどうか、父親としては気にならないわけありませんけどね。」
「……。」
つまるところ、やはり楸瑛は試されたのだ。
そう思うと急に背中を冷たいものが伝わり落ちる。
そんな楸瑛のことはお構いなしで、邵可は珠翠に向きなおる。
「珠翠、彼は一番に君のことを守ってくれる人だよ。
君がそんな人を見つけたことを、私は嬉しく思うよ。」
そう言うと邵可は改めて楸瑛に頭を下げる。
「楸瑛殿、どうか、珠翠をよろしくお願いいたします。」
「はい、この命に代えましても。」
そして帰り道。未だ不満げな珠翠の機嫌をなんとか取ろうと楸瑛は声をかける。
「珠翠殿。そろそろ機嫌を直してください。」
「嫌です。」
「そんなこと言わないで。」
「だって許せませんわ。」
「はい?」
「命に代えて守られても、迷惑ですの。残された私は、どうすればいいんですの?」
向けられた珠翠の眦は相変わらず吊り上っていて、
だけどその瞳に浮かぶのは怒りではなく哀のいろ。
「絶対に、私よりも先に死なないで。そうじゃなかったら、許さない。」
「……善処いたします。」
そう言って楸瑛は、珠翠をそっと抱き寄せた。
珠翠の瞳に浮かんだ哀の色は、いつの間にか消え去っていた。
あとがき、という名の言い訳
その瞬間、楸瑛の頭の中には
“絶対に負けらせない戦いが、そこにある”と浮かんでいたはずです。
思っていた時間の長さも負けていることは分かっているわけだし。
絶対に叶えられることがないからこその、思いの美しさのようなものを感じてもいたのではないでしょうか?
ある意味不変の愛なのですから。
でもまさか狼が二匹とは思ってもみなかったでしょう。
まぁでも、私が書いた楸珠にしては、楸瑛は報われている方ではないかと思います。
ところで、珠翠の旦那さんなら、私にとっても息子のようなものだよ、という邵可さまの一言で
某紅い人からの嫌がらせを受けたとしても、それは仕方のないことだよね(喜)