お義父さんはオオカミ~静蘭と十三姫の場合~
もうすぐ妻となるこの人の言動は、いつも突拍子もない。
そのことは、十分すぎるほど知っている、筈だった。
しかしいつも彼女は自分の予想のはるか上(それも斜め上だ)を行き、
そんなところは、確かにあの藍龍連と兄妹なのだと感じさせる。
しかしそれを口にすることは、
十三姫を激怒させる禁句であることも、十分すぎるほど知っている。
元公子から一変どん底の生活まで経験した結果、
空気を読み貧乏くじを引くことに慣れてしまった静蘭であった。
今日も今日とて、彼の愛しの婚約者姫は、目を輝かせて言ったのだ。
付き合ってください、と。
と言っても十三姫はいわゆる男女のお付き合いを申し込んだわけではない。
いやそんな事があってたまるか。彼女は二月後には自分の妻となるのだから。
そう。
結婚をして長年家人として暮らした屋敷を離れることが決まり、
その前に妻となる人の顔を旦那様にお見せしておこうと連れてきたのである。
ボロボロだった自分を拾ってわが子同様に育ててくださった旦那様。
奥様と、お嬢様との暮らしで、家族の温かみを教えてくださった。
陰謀渦巻く宮廷に生まれ、実の父とはさしていい思い出もない中で、
静蘭にとっては邵可は恩人というだけでなく、父とも思える人であった。
その邵可に向かって、十三姫は言ったのである。
付き合ってください、と。
「楸瑛兄さまから聞きました。
邵可様は伝説の黒狼で、今でも相当の手練でいらっしゃると。
私も、司馬家育ちのものとして、ぜひ一度手合わせをお願いしたいのです。」
馬のことを話すとき以外で彼女がこんなに目を輝かせているのを初めてみた。
自分が求婚した時ですら、表情を変えることもなく
「そうね、じゃあそうしましょう」とあっさり返事をした人である。
一方の邵可は、突然の申し出に目を丸くし、どうしたものかと静蘭に目で問うてくる。
「……。旦那様が御迷惑でなければ、姫のお気に召すように。」
どうせダメと言ったところで聞くような女(ひと)ではないのだ。
それならば、軽く手合わせさせ、
早々に引き上げさせるのが、今できる最良の策である。
そんな静蘭の気持ちが伝わったのか伝わらなかったのか定かではないが、
邵可は静蘭がそう言うならと立ち上がった。
「邵可様って本当にお強いのね。素敵だわ。」
帰り道、満足げな十三姫に対して、隣に並ぶ静蘭は渋面である。
そんな静蘭にはお構いなしに、暗器の使い方は、まだまだ修行が必要ねなどと
十三姫は嬉しそうにしゃべり続けている。
その嬉しげな様子が、なんだか気に入らなかった。
だから相槌を打つこともなく、ただ黙って歩いている。
彼女はそんな静蘭の様子をちらりとみたけれど、構うことなく話を続ける。
普段は取り繕って見せないだけで、
静蘭とてさほど気の長い方でも我慢強い方でもない。
特に、彼女のことになると抑えが利かないことは、静蘭自身自覚しているところではあった。
唐突に彼女の手を引くと、細い路地に連れ込む。
もはや黄昏時と言って良い頃で、込み入った路地裏は、通りからでは暗く霞んで姿が見えることはない。
そうして壁と両腕で彼女を捉える。
「姫。」
ただ、彼女を呼ぶ。
驚いたように真っ直ぐにこちらを見る瞳は、それだけで彼の嗜虐心を煽った。
「婚約者の前で、他の男の話を延々となさるとは。姫はどうやら仕置きを欲しておいでの様だ。」
にやり、と口の端をあげて見下ろすと、流石にまずいと思っているのが見て取れる。
そんな表情が自分を更に煽ることなど、知りもしないのだろう。
彼女の骨の髄にまでも自分という存在を刻み込みたいと、そんな欲望でぞくぞくする。
「ね、怒ってる?」
「えぇ、それなりには。」
「悪かったわ。許してちょうだい。」
「それなりの誠意を姫が見せてくれるのであれば。」
只でなんて、許してやるものか。
「誠意って。謝っているじゃない。」
「もっと、です。」
「もっと?どうすればいいの?」
「そうですね、例えば。」
そう言って愛しい人の耳元に囁く。
「そんな恥ずかしいこと、こんな場所でできないわよっ!」
真っ赤な顔で抵抗するけれど。
「そうですか。姫にとって傷ついた私の心などどうでもいいのですね。」
「そ、そんなことは言ってないじゃない。」
「では、叶えてくれますね。私のお願いを。」
彼女は唇を引き結び、少しの間下を向いて、
そして次に顔を上げた時には覚悟を決めた眼をしていた。
そう、それでいい。
強気なその顔がこれから羞恥に歪むのを見るのが、この上ない快感なのだから。
「……して」
「なんですか、姫?良く聞こえませんでした。」
自分で言えと言っておいて白々しいと目で訴えられるが、知ったことか。
「接吻して。」
漸くはっきりと聞こえる声で。
しかしその声は羞恥に震えている。
そんな様子がたまらなく愛おしい。
「姫。それでは私がお願いしたことの半分だけです。
さぁ姫、どこに口付けすればいいのか。
姫の一番お好きな所を仰ってください。」
愛おしいからこそ、追い詰めたくなる。
自分はやはり歪んでいるのだろうか。
「…、首に……、首に接吻して、ください。」
最後が消え入りそうなのは正直減点対象だが、
しかしこのくらいで許してやってもいいだろう。
「こんなところで、仕方のない人ですね。」
そう言いながら彼女の首筋を舐めあげて、
そうして鎖骨の上を強く吸い上げて所有の印をつける。
しばし恍惚の表情を見せた後、
そのしるしに気付いて彼女は声を荒げる。
「ちょっと、こんなことされたら当分外歩けないじゃない。」
その声を背中に聞きながら、返した静蘭の言葉は、
風にかき消されて十三姫には届かない。
「だったら、どこにも行かなければいい。」
ずっとずっと、この腕の中だけに。