ある光

【ある光】

 

 

 

見上げる先には、冷たく鋭い目があった。

 

「何度言えばわかる。受けようとするな。受けて流すでも受けながら流すでもない。感覚を一度捨てろ」

「そんなこと……言ったって、身についたものだものっ、無理よ」

「ならばこれで終わりだ」

「……もう一度、お…願い……します……」

 

立ち上がり、砂まみれになった衣を払うでもなく、十三姫は軽く腰を落とし、体重を爪先に乗せた。

 

息を吸い込む程の微かな間を置いて、相対した静蘭が予備動作もなく、一気に間合いを詰めてくる。

十三姫は突き出される剣先の向こうに、眼差しの奥に眠る熱を感じながら、軽やかに身をかわした。

 

 

  ‡・‡・‡・‡

 

 

早朝の後宮の庭院―――奥まった小さなものだから、立ち入る者の姿はない。

 

十三姫は井戸端で、乱れて汗で張り付いた髪を一度解き、きゅっと結い直した。

 

「明日もこの時間でいいの?」

「……まだやるんですか?」

「当たり前よ。それにあなたが言い出したことでしょう?」

「……。では、また明日」

 

いてて、と呟きながら、腕に出来た新しい青痣を確認しているうちに、静蘭は背を向け去って行った。

 

「何よ、あれ。乙女の柔肌に傷作っておいて、あの態度!」

 

井戸の縁に腰をかけて、十三姫は小さくなった背中に思いっきり舌を出してやった。

 

 

 

 

 

―――武術をお教えしましょうか?

 

そう言い出したのは静蘭だった。

十三姫が筆頭女官として勤め始めてしばらくした頃のことだ。

王の私室で花を生けていた十三姫に、突然現れた静蘭は、これまた突然にそう告げたのだった。

 

「何言ってるのよ、あなたに教えてもらうことなんて何もないわ。私は自分の身は自分で守れるし、あなたみたいに剣を取って戦うのが仕事でもないの」

「知ってます」

「じゃあ馬鹿なこと言わないで」

 

馬鹿馬鹿しい、と切って捨てるように言ってその場を去ろうとしたその時、静蘭の視線が、劉輝がいつも座っている椅子に注がれていることに気づいた。

 

「……王様の為に、ってこと?」

「当たり前です。あなたが自分の身を守れるか否か、など私には関係がないこと

ですから」

「あ~っそぉ~」

 

苛々した。

ようやく視線をこちらに向けた静蘭は、綺麗な顔に穏やかな笑顔を浮かべている。

 

嫌な男、と十三姫は思う。

こういう顔をするところが、嫌で堪らない。

 

素直に「主上の為に、いざというときはあなたが身を呈しなさい」と命令することはしないし、「主上の為にお願いします」と懇願することもない。

 

ただ、それが当然でしょうとばかりに視線だけを呉れるのだ。

 

例えば、これが雪那兄様達ならにっこり笑って命令するだろうし、楸瑛兄様ならすまなそうな顔をして懇願するのに。

 

そうはけしてしないで、まるで、あくまであなたの自由意思ですけども、なんて顔をして笑っている神経が知れない。

 

でも、王様の為、と言われたら、首を縦に振るしかないのだ。

筆頭女官の仕事に、凶手からその御身を守るなんてことは含まれてないことはわかっている。

でも、この後宮で王の最も身近な場所にいられるのは自分だし、武術の心得もある。

そして、あの淋しい王様を守ってあげたいと、そう思っているのは確かだから。

 

「でも、あなたに教えてもらう由縁はないわ。王様だってかなりの使い手みたいだし、私も剣ならそれなりに使えるから。結構よ」

 

花瓶の水を取り替えようと、両手に抱えて室を出ようとしたその時、十三姫の視界が一転した。

 

「―――!……なっ!!!」

 

したたかに腰を床に打ち付けかけ、それでも十三姫は猫のように空中で体を捻り、そのまま床を蹴って立ち上がった。

 

一瞬のことでよくわからなかったが、脚を払われたようだ。

抱えていた花瓶は、いつの間にか静蘭の手にあった。

 

「隙だらけですよ、姫」

「不意打ちなんて卑怯よ!それに今はこんな女官のずるずるした衣を着てるんだから……―――」

 

自分の言葉が、言い訳になっていることに気づき、十三姫は唇を噛んだ。

 

凶手が相手なら不意打ちは当たり前。

そして自分が女官の衣を身に纏っていることも、ここでは当たり前なのだ。

こんな具合では確かに王を守るだなんて、できっこない。

 

「あなたは帯剣は許されていない」

「そうね、当然のことだわ。私は女官だもの」

 

ぎりりと静蘭を睨みつけながら、それでも十三姫は素直に頷いた。

 

「宜しければ、それを教えて差し上げます。剣を持たぬ時の戦い方を」

「あなたには、それが出来るというの?」

「そうですね。あなたの兄君よりは得意だと思いますよ。色々と経験してまいりましたから」

 

そういって静蘭は余裕ありげに笑った。

見下したような笑顔に、十三姫は目の前がくらくらする思いだった。

 

出来ることなら、この綺麗な顔をひっぱたいてやりたい。しかし、彼の言うことは、いちいち尤もな話だった。

何の間違いもない。

 

―――王を、守るため。

 

それを望むのなら、教えを請う相手は、性格はともあれ確かに彼が最適なのだ。

普通の武官は剣を持たぬ状況での戦い方などまず知ぬだろうし、女官である十三姫にそれを教えてくれるとも思わない。

 

状況を正しく理解した十三姫は、躊躇う事なく、手を組み、膝を付いた。

それは、女官がする礼の型ではない。

十三姫は鈴の音でも鳴ろうかというような鮮やかな仕草で姫衣の裾を捌き、正式な武官の叩頭の型を静蘭にとったのだった。

 

「早朝でよろしいですかね、出仕の前にこちらに寄るようにいたします」

 

口調は丁寧なままであったが、見上げると、いつもと違う表情の静蘭がいた。

 

冷たい眼差しのまま、そこに得体の知れない綺麗な笑顔を乗せているこの男が、嫌いだった。

まるで、あなたには興味がないと、そう言っているような表情をする彼が。

自分の歩む道に関わりがない人間を拒むように、適当な笑顔でその場をごまかす、その態度がむしろ子供っぽいと思っていた。

 

そうしたいなら、もっと完璧にやったらいいのだ。

雪那兄様のように、そう勘付かせないくらいに。

それが出来ないと言うのなら、もう少し人を認め思いやったらいい。

楸瑛兄様のように、人を信じたらいい。

そう、思っていた。

 

今、見上げる彼の目はいつも通り、鋭くて。

そうして、その顔に笑みはなかった。

 

 

 

初めて、静蘭と目が合った、と十三姫は思った。

 

道が交差しなければ、視線を合わすことさえしない、頑ななその心。

 

なんだ、やっぱりずいぶんな狭量だわ、と思う。

でも、視線を離すことが出来ない。

その、眼差しは真っ直ぐに自分を射ているから。

 

悪くない。

彼の歩む道と自分の歩む道がしばらく重なるのも、これなら悪くない。

彼の進む道の上に立って、彼の見る景色を垣間見るのも、悪くはない。

 

見てみたい。

 

鋭い眼差し。

その冷たい瞳の奥にある熱。

そして、彼の歩む道の先にある、光を。

 

 

 

 

 

「そなた、静蘭に稽古をつけてもらっているのだな」

「……ええ、まあ」

「どうだ、静蘭は強くて、教え上手だろう?」

 

朝の身支度を手伝いながら交わすいつもの他愛ない会話。

劉輝は穏やかに話をすることが多いが、今朝は十三姫の顔を見たときからずいぶん弾んだ様子だ、と思っていたらそういうことか。

 

十三姫は、小さくため息を付いた。

ハッとして、口を覆ったが、ちょうど劉輝の背中に回り、衣の着付けを確認していたところだったので、気づかれなかったようだ。

 

多分、庭院での稽古の様子を遠目に見たのだろう。

教え上手、かどうかは疑問が残るが、確かに静蘭は強い。

十三姫は素直に頷いた。

 

「……そうね」

「ふふふ、そうであろう!」

 

まるで、自分のことのように喜ぶ劉輝が子供のようで、可愛らしく思える。

 

「しかし、無理をしてはいかんぞ。傷でも作ったら、余は楸瑛に申し訳が立たん」

 

劉輝は振り返って、優しい目をしてそう言った。

 

ああ、この人は、自分の為に私が鍛錬を積んでいることを、ちゃんとわかっている。

そうしてそれを、心に刻み、自分の肩にしっかりと背負ってくれようとしているのだ。

 

優しい眼差しの中に、その意図を悟って、十三姫は笑った。

 

優しく、強い王様。

楸瑛兄様が、静蘭が、命を預け、その歩む道の先に光を見つけたのも頷ける。

 

「楸瑛兄様は関係ないわ、私が好きでしていることだもの」

「そうか」

 

劉輝は少し俯いて、小さく「ありがとう」と呟いた。

小さな小さな呟きだったので、十三姫は聞こえない振りをする。

 

「そうだ、もし、稽古で怪我でもしてしまったら、静蘭に嫁に貰ってもらえばよいのだ!余は静蘭のことが好きだが、そなたのことも好きだぞ。一緒になるのは大歓迎だ!」

「はっ!?…… な、なな、何言ってんのよ!馬鹿じゃないのっ!?」

 

名案を思いついたとばかりに手を打って脳天気な発言をした劉輝に、十三姫は目を丸くする。

 

「ありえないわよ!そんなの!」

 

叫んだ丁度そのとき、扉が開かれ、静蘭が顔を出した。

 

「何のお話ですか?」

「あ!静蘭!丁度良いところに!」

「よよよよ、良くないわよ!」

 

力一杯否定すると、静蘭は十三姫の方に一瞬だけ顔を向けた。

にこにこと笑う劉輝に視線を戻し、忌々しい表情になる。

 

「……こんなじゃじゃ馬姫、御免です」

「聞いてたんじゃない!立ち聞きするなんて卑怯だわ!」

「聞いたんじゃありません、あなた方の声が大きくて、扉の外まで聞こえてきたんです」

 

今だってうるさいですけども、と言うように静蘭はひらひらと手を振った。

 

「悪かったわね!私だって、こんな腹黒、冗談じゃないわ!!」

「……今、何と?」

 

静蘭が振り返って、にっこりと笑う。

 

「そんな口をきく余裕があるのでしたら、明日の稽古はもう少し厳しいものにしましょうか」

「え……そ、それはちょっと……」

「まあ、あなたの動きもなかなか様になってきましたしね」

 

十三姫が言葉を途切れさせて、瞬きを繰り返すと、「さあ、主上、参りましょう」と静蘭は劉輝を促し、扉へと向かった。

 

「よ、宜しく、お願いします!」

 

稽古の時のように、敬語で、思いっきり頭を下げて叫ぶと、静蘭の微かな笑い声が聞こえた。

 

 

 

 

 

命令するのではない。

懇願するのではない。

 

あくまで自分の意志で。

 

 

その意志のある者には、混ざりもののない、真っ直ぐな瞳を。

そうして道を交わす者には、冷たい瞳の奥にある熱を。

遙か、見据える道の先にある、光を。

 

 

 

 

 

彼女が彼と同じ道を歩み、遙かな光を共に見つめようになるのは、もうしばらく先のお話。

 

 

 

【了】

 

 

 

 

 

☆スピカ☆のはっちさまが、まさかの静十を書いてくださいました!

絳攸も紅家も関係ない話を書かせるなんて!

カミソリレター来ても文句は言いません。

でも怪我するのは嫌なので、【剃刀在中】と赤字で記載願います。

 

いやいや、冗談ですよ?

 

だってこんな素敵な文章、読めて嬉しいのは私だけじゃないから。

だから私の無茶ぶりも、たまには役に立ったということでお許しを!

 

この夏は、本当に静十がアツイぜ!

 

私の中では年初から熱かったけどね。

 

はっちさま、ありがとうございました!

大好きです!