削り氷に甘葛

 

presented by 小鈴(Rosaceae)

 



テラスからさやさやと入ってくる風が、潮の匂いを運ぶ。
今まで海を見たことのなかったコウにとって、この匂いは不思議だった。


昨日、初めてみた海を思い出す。

雲ひとつない空の色をそのまま写し取ったかのような透き通って、それでいて深い青をした海。
ヤシの林と海の間に広がる砂浜は、混じりっ気のない、白。
あまりに白くて、照り返しが眩しいと文句を言ったのは黎深だ。

風に誘われて揺ら揺らと波立つ様も、
そのたびにきらきらと陽の光を反射する様も、
今まで見たことのあった内陸の湖とは、似ているようで、違う。

そっと波打ち際に近づくとちょうどやって来た波がコウの足元を掠める。

足の下の砂が浚われる感触が不思議で、暫くそのまま立ち尽くす。

何時までもそうしているコウを不思議に思ったのか、
水着の上にパーカを羽織って、鍔の広い帽子をかぶった百合が傍へとやってくる。

「どうしたの、コウ?」

差し出された百合の手に自分の掌を無意識に重ねながら、コウは少しだけ考えた。

波と砂の感触が珍しくて、
そして此処に黎深さまと百合さんと来ることができたのが嬉しくて、
だから、この感触を覚えておこうと思ったなんて、
なんだか子どもっぽくて、恥ずかしくて、
百合さんには言いたくないなと思ったのだ。

代わりに、コウは答える。

「海があまりに大きいので、びっくりしていました」

辺り触りのない、答え。

それでも百合はにっこり笑って言ってくれた。

「来年も、また来ましょうね」と。


そのあと百合と一緒に岩場で見つけた魚も、
見たこともない様な派手な色に派手な形をしていて 、
家に帰ったらこの魚の名前を調べようとコウは思ったのだった。


ごろり、とコウは寝がえりを打った。


コウが横になっているのは、本来であれば、黎深と百合が使う筈のベッドである。

けれど、昨夜黎深は此処を使わなかった。

というよりも、百合とコウを置いたまま、
一人で自家用飛行機を占拠して、黎深は帰ってしまった。

とある事情があって、コウは体調を崩していたので、
心配した百合が、一緒に休んでくれたのである。

どうやら、百合は先に起きたらしい。


広いベッドの中で膝を抱え
所在なくコロコロと転がりながらコウは昨日のことを思い出す。


どうすれば、良かったのだろう。


海を見た後に、黎深と百合と三人でかき氷を食べることになった。
それが、事件の始まりだったと今にして思うが、
その時には誰にも(おそらくは、黎深にさえも)予想できなかった筈だ。

 

 

第二話

コウは、かき氷を食べるのも、初めてだった。
目の前に並ぶ色とりどりのシロップの鮮やかさに、コウは目を奪われる。

百合は早々に「私は、イチゴ味ね」と赤いシロップを指さす。
黎深はそれを見ながら、「相変わらずお前は趣味が悪いな」などと言いながら、オレンジ色を指さした。
黎深が特別に作らせたオレンジで作った特別なシロップらしい。

その言葉に百合がむっとしたように答える。
「趣味が悪くて結構。趣味が良かったら君のヨメなんてやってないから。
それにしても相変わらず君は紅家が嫌いだね。
イチゴシロップまで憎らしいなんて、馬鹿じゃないの?」

「ふん。ただ、このオレンジシロップを選ばなかったことを馬鹿だと言っているんだ。
これは、私が秀麗の為に作らせたシロップだからな。
美味くない筈がない!」

「でも結局そのかき氷を秀麗ちゃんに食べさせる役は、玖琅に取られちゃったんだから、
本当に君は笑いのネタを提供してくれる天才だね!」

「あ、あれは、兄上が……」

「キミが邵可様のところに出入り禁止なのは前からでしょ。
それなのにシロップぐらいで秀麗ちゃんに逢わせて貰えると考えるキミが馬鹿なんだよ」

「う、うるさいぞ、百合。それより、コウ!」

おろおろと二人の会話を聞いていたコウは、
突然自分に飛び火して、震え上がる思いだった。

こういうときの黎深さまは、いつも以上に何を言い出すか解ったものではない。
慎重に、良く考えて返事をしなければ。
そう思いながらコウは「はい、黎深さま」と答える。

「コウ、お前は、何味にするんだ?」
そう問う黎深の目は、ギロリと怪しく輝きを放っている。

コウ、落ち着いて良く考えるんだ。
夏のせいではない汗を掌に握りながら、自分に言い聞かせる。

赤は、さっき百合さんが選んで、黎深さまは不機嫌になっていた。
でも、ここでオレンジを選ぶと、なんだか百合さんに申し訳ない様な気がする。
確か、青は黎深さまがお嫌いだった筈。
あの黄色か緑どちらかに正解があるのか?

嗚呼、どうすれば……?

その時にコウの目に留まったのは、透明の液体。
色とりどりのシロップの中で、かえってそれは異彩を放っている。

「ぼ、ボクこれがいいですっっ」

透明なら、黎深さまのお気に障ることもない筈とそっと見上げる。
黎深は「好きにしろ」と言ってそっぽを向いてしまった。

それから、脚付きの切り子のグラスに盛られたかき氷が、三人の前に運ばれてくる。
大人が漸く両手で持てるほどの器に、
コウの頭よりも大きいのではないかというほど山盛りに、氷が盛られている。
ぴかぴかに磨かれたスプーンでしゃくしゃくと山のてっぺんからすくっては口へと運ぶ。
そのたびにきぃーんと僅かに頭痛がして、コウは思わず顔を顰めた。

「あんまり急いで食べるからよ」
そう言って百合がコウの頭を撫でてくれる。

初めて食べたかき氷の冷たさも、
百合の手の暖かさも、
黎深と三人木陰で風に吹かれているこの時間も全てがコウを嬉しくさせる。

嬉しいと伝えたいと思ったけれど、同時にそれはなんだかとても恥ずかしく思えて、
結局コウは、小さな声で「かき氷、美味しいです」と言った。

すると百合は嬉しそうに、自分のかき氷をひと匙すくって、コウへと差し出す。
「こっちも、美味しいよ、食べてみる?」
返事代わりに頷いて、差し出されたかき氷を口にする。
イチゴの味とはちょっと違う様な気もしたけれど、甘くて美味しかった。
「こっちも、おいしいです」
素直に百合にそう伝えたコウの前に、今度は逆方向からスプーンが伸びてくる。
コウが黎深のほうをちらりと見ると、黎深は不機嫌そうな表情を変えることなく無言で頷く。

どうやら、こちらも食べてみろという事らしいと、
差し出されたスプーンの上のオレンジ色の小さな山を頬張る。
すると、間髪いれずに黎深が問う。
「どうだ?」
「お、美味しいです」

おずおずと答えたコウを見て、百合が黎深に視線をやる。

「ちょっと、黎深! 無理強いしないでよ。コウも、好きな味を食べたら良いんだよ」
「ああ? 無理強いなどしておらん。それに、こっちのほうが美味いに決まっている」
「そんなこと無いよね、コウ。ほら、こっちもう一口食べる?」
赤いかき氷が差し出される。
「こっちがもっと食べたいのなら、分けてやらんことも無い」
オレンジのかき氷も。

コウはもう、どうして良いかわからなくなって、言ってしまった。
「ぼ、僕、全部食べます。全部大好きです!」

男は言った事にセキニンを持たなくちゃいけない。
そう思ったコウは大人三人前のかき氷をたった一人で食べきった。
そうして最後の一匙を食べきった頃、コウの顔面は蒼白になり、
首筋にはだらだらと汗が流れ落ちていた。

流石に、その汗が暑さによるものではない事は百合も気付いたようで、コウに声を掛ける。
「ちょっと、コウ、大丈夫?」
しかしその声を聞き終わる前に、コウはばたりと椅子から崩れ落ちた。


第三話

ゆらゆらゆらゆら揺れている。

まるで昨日乗った小さなボートのようだなと思った。
小さなボートで沖に出て、透き通る水の下、岩陰でかくれんぼをするような魚たちを見たのだ。
黎深さまは、暑いからと一緒に乗ってくれなかったけれど、またいつか一緒に乗れると良いな。
慣れないと船酔いすることもあると言われたけれど、
夢中で魚を見ていたら、酔う暇など無くて、
ただただ心地よい揺れに身を任せているうちに時間が過ぎたのだった。

あの時と同じように、ゆらゆらゆらゆら揺れている。

あれ? まだボートの上にいるんだったっけ?
でも黎深さまの声が聞こえる。
黎深さまはボートには乗らなかったから、これはきっと夢なんだ。
ああ、それにしてもゆらゆらゆらゆら、気持ち良いなぁ。
そんな事を思いながら、コウの意識は深いところへと落ちていった。


次にコウが目を覚ましたときには、頭上で燦々と輝いていた太陽が、
ゆっくりと水平線の向こうに消えていくところだった。
夕陽って、お昼の太陽よりも大きく見えるな、不思議だな。
そんな事を考えながら、身を起こす。

「良かった、コウ、気が付いたのね」
「百合さん」
百合の腕に抱きしめられながら、コウには状況が飲み込めない。

それを察したように百合が説明してくれる。
「ごめんねぇ。かき氷の食べすぎで体調崩すなんて、
私たちが変な意地を張ったせいで。もう苦しくない?」

その言葉で思い出す。
三杯のかき氷を食べている間に、だんだんおなかが痛くなってきて、
頭もがんがんしてきて、でも残しちゃいけないと思ったから頑張って最後まで食べたんだ。

そうか、その後僕は倒れたんだ。
また迷惑をおかけして、黎深さまは怒っていらっしゃるかな。

そう思い室内を見回してみるが、黎深の姿はない。

思い切って聞いてみる。
「あの、百合さん、黎深さまは……?」
すると、百合は気まずそうに視線を反らしながら、答える。
「ははは、もうね、あの馬鹿の事なんて気にしないことにしましょ?」
「僕、黎深さまに謝りに行きます」
「コウ? 何でコウが謝るの?」
「だって、僕が倒れたりしてご迷惑をおかけしたから」

それを聞いた百合は、ふぅとひとつ息を吐き、視線の高さをコウのそれに合わせながら、ゆっくりと話し始める。

「コウ、私たちあなたの事を心配はしたけれど、迷惑だなんて思ってないわ。
だってあなたは、大事な大事な私たちの子どもですもの」
「じゃあ、黎深さまはどこにいらっしゃるんですか?」
縋るような目で問うてくるコウを見ながら、百合はもう一度嘆息する。

「それがねぇ、コウ。私にも解らないのよ。
解るのはあなたをここまで運んだ後、自家用機で何処かに行ってしまったって事と、
相変わらず黎深が大馬鹿者って事だけなの」

その言葉を聞いてまたもコウは蒼白になる。
「やっぱり、黎深さま、僕の事を怒っていらっしゃるんじゃ……」
泣き出しそうになるコウの頭を撫でながら、百合は首を振る。

「ねぇ、コウ。
私も未だに黎深がナニ考えてるか、次にナニするかなんてわからないわ。
でもね、これだけは知っているわ。
黎深は、怒っていたらあなたをここまで運んだりしないで、そのまますぐに帰ってしまうようなやつなの。
黎深は、玖琅の面倒も大して見なかったから、コウ位の子を運ぶのなんて、した事無かったんだよね。
見せたかったな、おっかなびっくりで恐る恐るコウを抱き上げて運ぶ黎深の様子。
あんな貴重な姿、邵可様に見せてもびっくりされると思うよ」

だから心配しないでゆっくり休みなさい。
そういうと、百合はコウをそっと横たえてそっと布団をかけてくれた。
頭を撫でてくれる百合の手の温かさと、子守唄の心地よさで、コウは再び心地よい微睡の中に落ちていった。

そして次に目が覚めると、既に太陽は昇っていて、開け放した窓から、波の音が聞こえてくる。
「百合さん?」
声に出して呼んでみたけれど、返事は無い。

コウはそっとベッドの上を移動して、裸足のままで床に下りる。
そのままテラスまで歩いていき、左手でカーテンを掴んだまま、海を眺めていると、後ろから声を掛けられた。

「なんだ、もう起きられるのか」
そこに居る筈の無い人の声に驚き、振り返る。
「れ、黎深さま」
「何だ、情けない顔をするな」
「あの、昨日お帰りになったのでは?」
「ふん、ちょっと忘れ物を取りに戻っただけだ」
 


忘れ物?」
首をかしげるコウをそのままに、黎深は隣の部屋に向かって呼びかける。
「おい、百合。もう良いぞ、持って来い」
「え?もう? っていうかコウ起きてるの?」
「馬鹿が。起きているから持って来いと言っているんだ」
「あーはいはい、わかったからちょっと待って」
「……出来るだけ早くしろ」
「もー解ったから。全く、きみの人使いの荒さは変わらないね」
そんな会話を聞きながら待っていると、百合が現れる。


その手には、かき氷。
しかし、昨日のものよりもずっと小さな、手の平に乗るほどの器。
そして数も、二つ。
それを百合はテーブルの上に置く。


「おい、百合」
「なによ、黎深」
「一つ足りんぞ」
「またコウが食べ過ぎないように、私のを分けてあげるんだよ」

それを聞いた黎深は、自分の前におかれた皿を無言でコウの前へと差し出す。
「コウ、何をしている。解けてしまうぞ」
「黎深、そういう時は、食べてみてって言うんだよ」
「う、うるさいぞ、百合。とにかく、早く食べろ」

そういわれて、コウはおずおずとスプーンで氷を掬う。
そのシロップの色は、昨日コウが選んだのと同じ、透明。
けれど口に含んでコウは驚く。

甘くて、そして少しすっぱいこの味は何だろう。
目をぱちぱちしているコウにみて、百合が笑う。

「このシロップがね、黎深の忘れ物なんだってさ」
そう言われてコウは黎深に視線を向けるが、黎深はいつも通り不機嫌そうな顔で座っている。
「コウ、これはね、プラムのシロップよ」
「プラム?」
「そう。すももとも言うわね」

すもも。
それは黎深がコウにくれた姓と同じ。

つまりこれは。
「コウのための特性シロップだね」

そう言って百合が笑うと、黎深が不機嫌そうに言う。
「百合、余計な事を言っていないで、早くそれを私に食べさせろ。解けてしまうだろう」
「黎深は自分で食べれば良いでしょ!」
「なんだ。コウには食べさせるのに私には食べさせられないというのか」
「はいはい、全く我儘大王だね」
「何を言う。妻の暴言を許す、寛大な夫だ」
「はいはい、好きに言ったら良いよ」
そういいながら百合はかき氷をすくって、黎深へと食べさせてやる。


その様子を見ていたら、なんだかコウは居心地が悪くなってきた。
「ぼ、僕、やっぱりもう少し自分の部屋で寝ています」
そう言ってぱたぱたと駆け出すコウに百合が声を掛ける。
「コウ? 休むんなら別にこの部屋で」
その声から逃げるようにして、大丈夫ですから!と言いながらコウは自室へと駆けていく。


「コウ、急にどうしちゃったんだろう?」
一人状況が理解できずに首をかしげる百合を後ろから抱きしめると、
黎深は百合の白いうなじへと唇を落とす。
「ちょっ、黎深、いきなり何するの?」
「まだ、何もしていない。
折角の楽園、しかも息子が気を使ってくれたとあっては、することは一つだろう?」
「あ、朝からナニを言ってるんだよキミはー!!」
「ほう、それなら夜まで待ってやれば良いのか?」

黎深の口元が、にやり、と歪む。
ちらりと呉れた流し目もなんだか百合の鼓動を早くする。
「もう、知らない。勝手にすれ……」
逃げようとする百合の口元は、黎深によって塞がれる。
長く、深く、呼吸を奪われて。
「言われなくても、勝手にする」

にやりと笑う黎深に、もう百合が抵抗することは無かった。




【了】



あとがき、という名の言い訳

リゾート紅家編、いかがでしたでしょうか?
プライベートジェットとか、所有の島とかなのに、
全く素敵にならないのが黎深マジックでございます。

コウちゃんを書いたのは久しぶりで
久しぶりなのに、寝込ませたりとかしてごめんねコウちゃん。

タイトルは、説明するまでもないと思いますが枕草子から。
かき氷の事ですが、こう、ツンデレな黎深ぽさも感じたり。

そして、すももかき氷は全くの私の創作です。
おいしいのだろうか?
でも私の地元には、
地元で唯一といっていい全国規模で有名なのではないかと思われる観光地があるのですが
そこでは、“梨かき氷”なる物を売っています。
結構爽やかで私は好きです。
“梨ソフトクリーム”もあるのですが、私はかき氷派です。

すももも美味しいけど、むくのがちょっと手間ですよね。
百合さんは黎深様にむいてあげたりするのだろうか?
というか百合さんは黎深のすもも好きを理解しているのだろうか?

邵可様にはむいてもらったことありそうですよね。
ただ、黎深さんは、邵可様がむいてくれればドリアンでも喜んで食べそうですが。

ところで最近、コウちゃんが絳攸さまになった瞬間について妄想します。
名前をもらった時から絳攸さま、じゃないですよね。

素直でちょっと思い込みの激しいコウちゃんが
なんであんなひねくれた鉄壁の理性(笑)になったのか
黎深さまのやらかしたことやら、
国試及第後の娘さんたちの構成やら、
楊修様や楸瑛さんとの関係性やら、そんなことを妄想はしてます。

そのうちに文章化できればいいのですが、
どうも最近追いつかない。

べた甘話やガツンとヘビィーなお話も書きたいものです。

ご意見ご感想お待ちしております。

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