陸軍参謀本部の夜

注意:絳攸は女の子ですよ!















陸軍参謀本部の夜


深夜、楸瑛はそっと参謀本部作戦課に足を踏み入れる。

部外者は立ち入り禁止だけれど、
この時間、見張りの歩兵もいないことは経験上知っている。

絳攸は、自分のデスクに向かい肘をついて額に左の手をあてている。
その背中はピクリとも動かない。眠っているのだろか?

ゆっくりと、足音を立てずに近付いて、その肩に手をかけようとした時だった。

「作戦課に無断で立ち入るとは良い度胸だな」

気付けば喉元に銃口が押し当てられていた。

将校に人気のコルトと同じ造りをしていながら、
普通のそれよりも一回り小さくできているそれは、
士官学校の卒業祝いに
彼女の養い親が特別に誂えて与えたものだと知っている。

以来彼女はこの拳銃を肌身離さず、身につけているのだった。

そして特注というその性質上、
その手入れは自分で行う他になく、
彼女の几帳面な性格のせいもあって、
常にそれは新品同様の輝きを放っていた。

どうせ小型化するのであれば、
もともと重量が半分程度のブローニングにすればいいと勧めたことがあったが、絳攸はそれを拒絶した。

曰く、コルトの方が安全装置が優れていると。

けれど、そんなものは言い訳で、
結局のところ彼女の心は常に、養い親である大佐に向けられているのだ。


「あっぶないなぁ~、気付いていたの?」

両手をあげて、抵抗する意思のないことを示しながら楸瑛は言う。

何の気なしに目をやれば、
彼女の短いスカートがさらにたくしあげられて、
レッグホルスターが装着された、太股が見える。

その色の白さに柄でもなくどぎまぎとし、
楸瑛は急いで視線をそらした。

幸い、そのことを絳攸に気付かれた様子はない。
その代わり、絳攸は至って不機嫌そうに答える。

「お前、あんなので気配を消しているつもりか? 
夜会ばかりで少し勘が鈍っているんじゃないのか」

つまり、気付かれていないと思っていたのは、こっちだけだったということ。

相手が同期の中でもずば抜けて優秀な成績で士官学校を卒業したとはいえ、
これは恥ずべきことと、楸瑛は反省した。

昼間見かけた彼女の様子に、思いのほか動揺しているらしい。

「君が優秀なだけだよ。普通のものなら気がつかない。
それにしても、私が夜会で華族のご婦人方と戯れているのが、
そんなに気にくわないのかい?
君が妬いてくれるとは嬉しいね」

情報課の楸瑛は、主に国内の不穏分子の洗い出しを担当している。

華族の中にも軍部に反感を持つものは隠れていて、
楸瑛は夜会に赴いては、
華族の奥方達からそれとなく情報を聞き出す日々を送っていた。
それが、どういう形でだか、絳攸の耳に入ったらしい。

そうして、その事が彼女の機嫌を損ねているらしいことに、
楸瑛は少しの優越感を覚えた。

けれど絳攸はきっと目をつりあげてこちらへ向き直る。

「馬鹿なことを言うな。
なんで私が女学生の様な真似をしなければいけないんだ」

男社会の軍部で、彼女が女であるだけで不利益な扱いを受けてきてことも、
それゆえに自分が女性であることを否定しようとする傾向が強いことも知っている。
けれど、何故だか今夜は、そんな彼女に訳もなく苛々した。

「絳攸、君は、女性だよ」

楸瑛がその言葉を言い終わる前に、一度下された彼女の右手が再度上げられて、銃口が楸瑛のこめかみを狙おうと動いたけれど、
今度は予想済みだったから、楸瑛はそれを難なくかわし、
代わりに彼女の両の腕を掴んで、その上半身をデスクの上へと押し倒す。

腕の下で彼女が懸命に抵抗しているのが解る。
それを表情に出すまいと必死になっているのも。

そこに敢えて、ゆっくりと再度同じ言葉を落としてやる。

「絳攸、君は、女性なんだ」

その言葉に絳攸の瞳に浮かんだ怒りがますます燃え上がり、
戒められた両手の代わりに、残された細い足でせめても抵抗をしようと試みるが、
楸瑛は自分の体をその間に滑り込ませて抵抗を封じてしまう。

視線がぶつかり合い、時が止まる。

楸瑛はにやりと口の端をあげ、絳攸の両手を改めて自分の左手一つで封じ、
空いた右の手で無造作に纏められた彼女の髪をほどく。

月の光と見紛いそうなそのひと房を絡め取り、
ゆっくりと味わう様に唇を落とす。

ほんの少しの甘い香りは、
香水でも何でもなくて、絳攸自身のもの。

訓練で同じ組になった時に、時折ふっと感じたことはあったけれど、
こんなに近くでしかもゆっくりとこの香りの中にいるのは初めてだ。

そのことが楸瑛の心を震わせる。
そうして初めて理解した。

何故、今夜自分は此処に足を向けたのか。
何故、昼間見た彼女の笑顔があんなにも憎らしいと思ったのか。

知らぬ間に心を囚われ、
しかもそれを気付きもしなかった自分に笑いが込み上げてくる。


ふと気づけば、絳攸の肩が小刻みに震えていた。
それでも瞳は涙を湛えるわけでもなく、唇もしっかりと引き結ばれている。
 
楸瑛は一つ息を吐き出すと、絳攸に声をかける。

「解っただろ。
どうしたって男の方が体も大きいし、力も強いんだ。
君が優秀なのは認めるけれど、こんな時間まで一人で残るのは良くないよ」

そう言ってぱっと手を放す。
すかさず平手打ちが飛んできたけれど、これは甘んじて受け入れた。

その上で言ってやる。
「酷いなぁ。紳士の忠告だったのに」
「解っているから平手にしてやった、本当だったら撃ち殺してやるところだ」
「はいはい、ありがとうね。
ところでいつまでその良い眺めを見させてもらえるのかな?」

楸瑛の言葉に漸く絳攸は自分の状況を理解する。
抵抗しようと暴れたために、スカートはずり上がり、今にも下着が見えそうだ。

急いでデスクから降り、スカートを直す。
その間に楸瑛は、撤退を決め込み、さっさとドアを開け作戦課を後にする。

「もう二度と来るな! 来たら今度こそ撃ち殺してやる!」

絳攸の声はむなしく廊下に響いただけだった。

【了】