願い事ひとつ

目を瞑る。そしてそっと願い事を。
胸に秘めた思いを知るのはこの世でただ一人だけ。
神様さえも知らない、私だけの秘密


願い事ひとつ

side秀麗

(失敗、したかしら?)
目の前は人・人・人。振り返っても人・人・人。

父さまと静蘭と行く初詣は、家の近くの小さな神社で、
しかも午後になって出かけることが多かったから、
割と名の知れたこの神社に来るのは初めてで。
だからこんなに混雑するなんて知らなかったのだけれど。

正直、あまり良い状態じゃないと思いながら、そっと隣を見る。

背が高くて、きれいな顔立ちをしているその人は、どこにいても目立つ。
本人はそんなこと思いもしないだろうけれど。

今日だって、近くに並ぶ女の子たちがちらちらとこちらを見ては、
互いに何か囁き合っているのを私は知っている。

絳攸さまの隣にいるのは、結構大変。

人混みがあまりお好きじゃないから、
すっきりとした目もとは、少しだけ険しい表情。
だけど、そんな表情さえも、かえって凛々しさを際立たせるだけ。
冬の凛とした空気までも、
今は絳攸さまの引き立て役のようだと思う。

ただ立っているだけで絵になってしまう、とてもとてもきれいな人。
女の子だったら誰だって、隣に並びたい、微笑んでもらいたいって思うはず。

ましてや、そんなきれいな男の人の隣に並んでいるのが、
私みたいに特別きれいでもスタイルがいいわけでもない子だったら、余計に。

そんなこと、誰に言われなくても、自分自身が一番よく判っている。
だから慣れないお化粧だって頑張っているし、
寒くたってミニスカートだし、
少しでもスタイルがよく見えるように、
ヒールの高いブーツを履いたりしている。

絳攸さまは優しいから、
「無理に着飾ったりしなくても秀麗はそのままでいいよ」
って言ってくれるけれど。

微妙なオトメゴコロを分かっていないそんな言葉が絳攸さまらしくて、
実のところ少しだけ安心しているのは内緒の話。

もしもの話。
お友達の楸瑛さまみたいに、絳攸さまも女の子の扱いに長けていたら。
そうしたらきっと、
絳攸さまは今よりももっと、手の届かない人になってしまいそうな気がする。

勉強の事に関してはすごく厳しいけれど、
それは私を真剣に見ていて下さるから。
あまり言葉には出さないけれど、本当は家族の事をとても大切に思っていること。
少し照れ屋だけれど、本当はとても温かくて優しい人だということ。

すごく欲張りだとわかっているけれど、
少しずつ分かってきた絳攸さまのいろいろな顔を、
ほかの女の子には絶対に教えたくない。

私だけが知っている、私だけの絳攸さま。
そんな絳攸さまを、誰にも知られずにそっと、
私の心の中に増やしていきたい。

こんなに欲張りだって分かったら、
絳攸さまに嫌われてしまいそうで、
この気持ちは秘密。

今日のこのブーツみたいに、
絳攸さまに追い付きたくて、並びたくて、
最近の私はちょっとだけ背伸びしている。

誰かを好きになると、ちょっとだけ背伸びをしたくなるって、
そんなこと今まで知らなかった。

急に風が強くなって、枝に積もった昨夜の雪がはらはらと空を舞った。
思わず首をすくめたら、ふわりと暖かいものに包まれる。

顔をあげたら、絳攸さまと目が合って、
そうしたら絳攸さまは恥ずかしそうに少し笑った。

言葉なんかいらない。

自分のマフラーをそっと貸してくれた絳攸さまの優しさも、
それを嬉しいと思った私の気持ちも、
全部目を合わせるだけで通じ合ってしまうから。

こんな幸せな気持ちを知ってしまったら、
やっぱり絳攸さまの隣はほかの女の子には譲れない。
やっぱり私は背伸びし続けるみたい。

ゆっくりゆっくり進んだ初詣の列も、ようやく私たちの番になる。
柏手を打って、そっと目を瞑る。
願い事は一つだけ。

来年も、再来年もずっと背伸びのままで構わないから、
絳攸さまの隣にいられますように。

願い事は、口に出したら叶わなくなってしまうそうだから、
この願いは秘密。

絳攸さまにも秘密。

 

side絳攸

(落ち着かない……)
絳攸は人混みの中小さくため息を零す。
それは苦手な人混みのせいでも、
年末から急に厳しくなった寒さのせいでもない。
隣にいる恋人のせい。

所謂「お付き合い」を始めて、一年と少し。
去年は受験生だった彼女を初詣とはいえ連れ出すのは躊躇われて、
誘わないままになってしまったから、二人で神社に来るのは初めてだ。

それなりに名の知れたこの神社は、やはり並々ならぬ混雑で、
列に並び始めてそろそろ一時間と言ったところか。

正直な話、そんなに信心深い方ではないけれど、
秀麗と一緒に過ごせば、時間はあっという間に過ぎていくから、
並ぶことなど苦にはならない。

ため息の理由は全く別の事。

ここのところ秀麗はどんどんと綺麗になって行っている気がする。
こんなこと、楸瑛に話したら、恋人の欲目だと笑われるだろうけれど。

だけど、つやつやと光をはじくしなやかな黒髪も、
ほんの少し桃色に染まった頬も、
ミニスカートとブーツの間に少しだけ覗くふとももも、
何気なく立っているその姿を見るだけで、
抱きしめたときの柔らかさやぬくもり、
そっと口付けをするときにだけわかる肌の匂いを思い起こさせて
どうしようもなくなる。

理性では分かっている。
彼女の柔らかさもぬくもりも、自分だけが知っているものだと。

だけど心の片隅で思ってしまう。
彼女を見る他の男も、同じような目で見ているのではないかと。

今だって、こちらを見上げ、
「絳攸さま」と呼びかけるその艶やかな口唇がまるで誘っているようで、
このまま列を抜け出して、誰からも見えない物陰に連れ込んで、
思う存分味わってしまいたい衝動に駆られるのを必死でこらえているのだ。

彼女が目を伏せるたび、
化粧などしなくても十分に美しく張りのあるその肌の
掌に吸いつくような感覚を思い出す。
風に吹かれて髪が舞い、白いうなじが見え隠れするたびに、
そこに舌を這わせたときの彼女の声を思い出す。

神聖な神社に、そして清らかな彼女に全く持ってふさわしくないこの感情は、
そのまま自分と彼女の関係を示しているようにすら思える。

まだ世間を知らない少女の、家庭教師に向ける親愛の情を、
自らの欲望に都合の良いように解釈し、誘導したのではないかと。

たとえそう非難されても、
彼女さえそれでいいと言ってくれれば手放す気持などさらさら無いけれど。
でももし彼女が疑問を持ったらと思うと恐ろしくて仕方がない。

花開くように日一日と美しく変わっていく彼女なら、
こんな卑怯な男ではなくても、いくらでも手を差し伸べられるだろう。

そうなってしまう前に、
誰にも見つからないところに彼女を隠してしまいたい。

彼女の眼に映るのは自分だけ、
彼女を目に映すことができるのも自分だけ。
そうできるならどんなにか幸せなことだろう。

そんなどす黒い欲望を隠して、彼女のそばに立っている。

少しでも欲望に蓋をしたくて、
白いうなじを隠すように自らのマフラーをそっとかける。
こんな思いを知らないままに、優しい瞳を向けられて、
ほんの少しだけ心の奥がいたんだけれど、
それでも彼女を失うこととは比較にならないと思った。

罰あたりだと言われてもいい。
彼女とずっと一緒にいられるなら、神にだって祈ろう。

この願いは秘密。
君にだけは、絶対に秘密。

 【了】


2011/1/3 日記からの再掲
新年フリー配布と思ったのですが、
あまり甘くならなくて微妙……?
お持ち帰り希望の方いらっしゃいましたら、ご一報くださいませ。

心の狭い絳攸ちゃん、可愛いので好きです。
恋するあまりにちょっと腹黒になっちゃう秀麗ちゃんも好きです。