コノヨノシルシ① 【Rosaceae】

 

 

女子高生秀麗と大学生家庭教師絳攸のおはなしです。

秀麗と蛍は同級生。絳攸と楸瑛も同級生。

 

設定をご理解いただける方のみ、お読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コノヨノシルシ 

 

 

貴陽高校に終業のチャイムが鳴り響く。
 
2年生の秀麗が、教科書を鞄にしまい、帰り支度を整えていると、隣の席から声をかけられた。親友の蛍だ。
 
 
「ね~え、秀麗。今日ちょっと帰りにお茶していこうよ~、最近秀麗が顔見せないから、胡蝶さんもさみしがってたよ~。」
 
「ごめん蛍。父さまが資料と称してまた、大量に本を買い込んだせいで、今月も家計のピンチなの。
 
胡蝶さんには会いたいんだけど、今月はきついんだ。それに今日は、彩雲大学に行かなくちゃいけなくて。」
 
「彩雲大学?なんだってそんな所に用なんかあるのよ?」
 
「新しくお願いする家庭教師の先生がね、父さまの教え子なのよ。だから今日は顔合わせしにいくのよ。」
 
「ふ~ん。そうなんだ。じゃあさ、私も一緒に行っていい?」
 
「いいけど、どうして?」
 
「うちの兄さまも彩雲大学に行ってるから、呼び出しておごってもらおうと思ってね。
 
待ち合わせまで時間があったら、秀麗も一緒にお茶しようよ。
 
うちの兄さま、中身はともかく、顔と頭はいいからさ。それに兄さま呼べば、車で迎えに来てくれるから、交通費も浮くし。
 
秀麗ちゃんにとっても悪い話じゃないと思うけど。」
 
交通費が浮くという(秀麗にとって)甘美な響きに、秀麗の目が輝く。
 
「蛍……、その話乗らせていただきます!!!!」
 
「そう来ると思った。今兄さまに電話するね~。」
 
 
 
 
 
30分後、秀麗は車の中にいた。
 
「秀麗、これがウチの顔と頭と金回りだけはいい楸瑛兄さまよ。
 
で、兄さま。私の友人の紅秀麗ちゃんよ。お父様が彩雲大学の先生なんですって。」
 
「蛍~?中身を褒めるのを忘れているんじゃないかい?
 
秀麗ちゃんよろしく~。蛍からよく話は聞いてるよ~。いや~噂以上に可愛いね~。彼氏はいるの~?」
 
(なんか、軽い、、、)秀麗は目で蛍につたえると、(いつもなのよゴメン)と帰ってきた。
 
こうなったら。
 
「はじめまして。秀麗です。いつも蛍と、胡蝶さんから、お話はよぉ~く伺っています。」
 
「えっと、こ、胡蝶サンですか。それは。。。」
 
予想通り、胡蝶の言葉に、楸瑛は反応した。
 
そこへ蛍が追い打ちをかける。
 
「兄さま残念ね。
 
私の大事な友人が兄さまの毒牙にかかったら困るから、私と胡蝶さんで、兄さまの悪行は、あらかじめ、秀麗ちゃんにお話ししておきました。
 
私の親友に変なことしたら、ただじゃおかないからね。同じこと胡蝶さんにも言われているから、お忘れないように!」
 
「蛍~?女子高生紹介してくれるっていったじゃないかぁ~(涙)」
 
「あら嫌ね、兄さま。ちゃんと紹介したじゃない。」
 
兄妹の丁々発止を、秀麗はただ、笑いながら聞いていた。
 
「そういえば、秀麗ちゃん。お父様って、紅教授かな?もしそうなら、私の友人が、紅教授のゼミ生なんだよ。」
 
「あ、そうです。ちょうどそのゼミの方に、家庭教師をしていただくことになって。李絳攸さんというかたですが、ご存じですか?」
 
秀麗の言葉に、楸瑛が、おや、という表情をする。
 
「え?絳攸?私の友人だよ。もしかして、これも何かの縁かな?」
 
「ちょっと、今の話のどこをどう取ったら、秀麗と兄さまの縁になるのよ?」
 
「こっこら蛍、運転中に、耳を引っ張るな!それよりも、相手が絳攸ならさ、ちょっとやっかいだよ。」
 
「兄さま以上にやっかいな方なんて、龍連兄さま以外にいるもんですか。」
 
龍連というのは蛍の兄で楸瑛の弟だ。
 
秀麗たちと同じ、貴陽高校の3年生だ。そして、有名人でもある。
 
”超・変人”として。
 
「蛍ちゃん。さっきからなんかお兄ちゃんひどい言われようなんですケド。傷つくな~。
 
それに、やっかいっていうのは、そういう意味じゃなくて。本人は認めていないけど、超絶方向音痴なんだ。
 
ヤツとの待ち合わせは、時間どおりに会えるわけがない。これは断言できる!」
 
(ちょっと、父さま、そんな話ぜんぜん聞いてないわよ。)
 
帰ったら、父に問いたださねばならないと秀麗は思った。
 
十中八九煙に巻かれるだろうが。
 
「でも、とても優秀な方だとお聞きしましたが。」
 
秀麗は望みの綱とばかりに聞いてみる。
 
「ああ、確かにうちの大学始まって以来の秀才なのは間違いないよ。
 
それは保障する。とにかくあいつとの待ち合わせなら、こっちが 探しに行ったほうが早い。これも縁だ。付き合うよ。」
 
ミラー越しにウィンクしながら言われ、秀麗はただ、是とだけ答えた。
 
 
 
 
 
目の前の光景に秀麗は、唖然としていた。
 
楸瑛が歩くたびに、周りの女子学生の塊も歩いて行く。
 
彩雲大学は、比較的男子学生のほうが多いはずだが、他校の女子学生も集まってきているらしい。
 
隣の蛍は、呆れたように、あんな兄でごめんね~と言って笑っていた。
 
しばらくすると、楸瑛が一人で戻ってきた。
 
「お待たせ、秀麗ちゃん。絳攸はどうやら、中庭にいるみたいなんだ。案内するね。」
 
どうやら、ただ、女性と遊んでいたわけではなく、秀麗のために情報収集してくれたらしい。
 
(思ったより、いい人かも)そう思いなら、秀麗は、楸瑛の背中を追いかけた。
 
 
 
 
 
中庭の池のほとり、楓の木の下に、その人はいた。
 
ベンチに横になり、読みかけの本を顔の上に乗せて、眠っている。
 
「きっと迷子になって疲れて寝ちゃったんだね~」
 
楸瑛はそういうと、彼の顔の上の本を取り上げ、呼びかける。
 
「絳攸。」
 
呼びかけられた人物は、起き上がり、たっぷり20秒あたりを見渡したあと、楸瑛をみて言った。
 
「なんだ、お前か。」
 
「ゴアイサツだね~。キミの親友が、わざわざ探しに来てあげたのに。
 
今日は紅教授のお嬢さんと待ち合わせなんだろ。もうすぐ、16時だけど。」
 
楸瑛の言葉に、彼は自分の左腕の時計をみた。そして
 
「それを早く言え常春。」
 
というと、すごい勢いであるきはじめた。
 
「ははは、絳攸。どこ行くの?待ち合わせは、図書館の前だろ。そっちは逆方向だよ。」
 
「わわわわかっている。ちょっとこの花が気になっただけだ!こここ、こっちだな。」
 
「絳攸~。そっちは食堂だよ。そ・れ・に、紅教授のお嬢さん、ここにいらっしゃるんだけど。」
 
再びたっぷり二十秒の沈黙。
 
「なぜおまえが一緒にいる?」
 
「たまたま妹の友人だったのさ。」
 
「…ただの常春だと思っていたが、たまには役に立つな。」
 
「そういう時は、素直にありがとうと言うんだよ。」
 
「お前には言わん。それより、」
 
そういうと絳攸は秀麗に向き直った。
 
「家庭教師をすることになった、李絳攸だ。探させて済まなかった。」
 
まっすぐに目を見て話されると、秀麗はなんだか恥ずかしくなってしまう。
 
(なんか、私、変?)そう思いながらも、あわてて秀麗も自己紹介する。
 
「紅秀麗です。よろしくお願いします。」
 
「ああ、よろしくな。」
 
これが二人の出会いだった。
  
 
 
 
 
 
先日の顔合わせから2日。
 
今日は初めての家庭教師の日だ。
 
絳攸は秀麗の家の場所を知らないので、貴陽高校前で待ち合わせすることになっている。
 
終業のチャイムと同時に荷物をまとめて、校門まで走る。
 
そこに絳攸が待っていた。
 
「絳攸せんせい。」
 
「秀麗、走ってこなくても大丈夫だぞ。」
 
「でも、せんせいをお待たせしてはいけないと思って。」
 
「走ったから、髪が乱れているぞ。」
 
そういうと絳攸は秀麗の前髪を直してくれた。
 
その行為がなんだか恥ずかしくて、秀麗はうつむいてしまった。
 
だから見えなかった。
 
絳攸の頬も、秀麗と同じように、すこし赤くなったのを。
 
「…せんせい。ありがとうございます。」
 
「別に、大したことじゃない。」
 
「今日から、よろしくお願いします。」
 
「言っておくが、俺は、厳しいからな。」
 
「はいっ。よろしくお願いします。」
 
そうして二人は、秀麗の家に向かったのであった。
 
道すがら、絳攸は何気なく聞いてみる。
 
「そういえば、秀麗は、紅教授と二人暮らしなのか?教授は奥様をなくされていたはずだが。」
 
「いえ。もう一人。兄がいるんです。兄と言っても、血はつながってないんですが。
 
でも、父も兄も夕食時までは帰ってこないので、気 になさらず、ゆっくりしてくださいね。」
 
秀麗の言葉に、絳攸の心臓ははねた。
 
(二人きり、なのか?男と二人で、気になさらずにゆっくりしてくださいって。無防備にもほどがある。)
 
混乱している絳攸は、自分が少し不機嫌になっていることにも気付かない。
 
秀麗も、絳攸があまりしゃべらないのは、性格だと聞かされているらしく、さして疑問を持った風でもなく、住宅街を歩いて行く。
 
そして、一件の家の前で、立ち止まった。
 
「つきました。せんせい。ここが私の家です。」
 
門をあけ、入っていく。
 
はっきりいって想像もしていなかった。絳攸の家や、楸瑛の家とは比べるべくもないが、十分豪邸の部類に入る大きな家だ。
 
 
「大きいな。」思ったままの感想を述べると、秀麗は少し笑って答える。
 
「大きいだけで。父があまり気にしないものですから、手入れも行き届かなくて。恥ずかしいからあまり見ないでくださいね。」
 
そう言いながら、玄関をあけた秀麗は少し驚いたように声を上げた。
 
彼女の視線の先には、一人の青年が立っていた。
 
「あら、静蘭兄さま。お仕事はどうしたの?」
 
「お嬢様の新しい家庭教師の方が、お見えになるというので、ご挨拶のために、早退してまいりました。」
 
そういうと青年は、値踏みするように絳攸をじっと見た。
 
「静蘭兄さまったら。お嬢様、はやめてよ。
 
秀麗って呼んでくださいっていつも言ってるじゃない。それにしても、わざわざ申し訳ないわね。」
 
秀麗の言葉に、青年は、さっき絳攸に向けた視線とは同一人物と思えないほどの、
 
蕩ける様な笑顔を、秀麗に向けて答える。
 
「いいえ。大切な秀麗のためですから、大したことはありませんよ。それよりも、そちらが、家庭教師の方ですか?」
 
視線を向けられ、絳攸は自己紹介がまだだったことに気づいた。
 
それにしても、静蘭とかいうこの青年が自分に向ける視線に、なんだか刺々しいものを感じるのか気のせいか?
 
「李絳攸です。いつも紅教授にお世話になっています。」
 
「静蘭です。まぁせいぜいよろしくお願いしますよ。」
 
静蘭の絳攸に向ける視線はやはり冷たい。
 
秀麗はというと、そんな事には気づきもしない様子で、絳攸にスリッパをだしてくれる。
 
「そうそう、静蘭兄さま。絳攸先生はね、蛍のお兄様のお友達なんですって。なんだかご縁があるわね。」
 
そんなことを言いながら絳攸を案内してくれる秀麗には、きっと聞こえていなかったに違いない。
 
「あの男の友人とは、ますます注意が必要だな。」
 
という静蘭の絶対零度、どす黒いつぶやきなど。
 
大切なお嬢様の交友関係は全て把握している静蘭であった。
 
 
 
案内された秀麗の部屋は、きちんと整理された、シンプルな部屋だった。
 
余分なものがないせいか、窓際に活けられた花が際立って、清浄さを作り出している。
 
ごちゃごちゃしたものが苦手な絳攸には(なんだか落ち着くな。)
 
「それじゃあまず、成績を見せてもらおうか。」
 
絳攸の言葉に、秀麗が差し出した成績表を見て、絳攸はおどろいた。
 
全国でもトップクラスに入るであろう成績だ。
 
「すごいな。…正直、家庭教師が必要にはみえないんだが?」
 
そういうと、秀麗は恥ずかしそうにこたえる。
 
「ありがとうございます。でも、私、絶対かなえたい目標があるんです。」
 
「目標?」
 
「はい。そのためには、絶対に、彩雲大学に入りたいんです。」
 
そう言った秀麗の瞳は、強い意志が宿っていた。
 
先日会ったときは、賑やかな藍兄妹と一緒だったせいもあって大人しい少女かと思っていたが、
 
(案外、強いのか?面白い)
 
「この間も言ったが、俺は、厳しいぞ。」
 
「はい。」
 
「宿題もたくさん出すからな。」
 
「はい。」
 
そうして二人の師弟関係は始まった
 
 
 
 
実際教え始めてみると、絳攸は改めて舌を巻いた。
 
記憶力や論理的な思考力が優れているのは、成績表を見たときからわかっていた。
 
それ以上に絳攸を驚かせたのが、どれだけ課題を出しても、秀麗が必ずしあげてくることだった。
 
しかも時に、絳攸も驚くような視点で、質問をしてきたりする。
 
途中で必ずお茶を出してくれる静蘭の眼が、やたら厳しいことだけが気になると言えば気になるが、
 
それ以上に教えたことをどんどん吸収していく秀麗の姿がうれしくて、絳攸は次第に週3回の家庭教師の時間が楽しみになっていった。
 
 
 
それは、どうやら、傍目にも明らかだったようで。
 
 
 
「絳~攸~。なんか最近ご機嫌だよね~。秀麗ちゃんはどうなのかな?」
 
彩雲大学のカフェテリアでレポートを仕上げている絳攸に声をかけたのは楸瑛だ。
 
楸瑛はさも当然というように、絳攸の向かいの席に陣取って、コーヒーを飲み始めた。
 
「予想以上だな。もともと頭がいいうえに、向上心もある。
 
なにより、一朝一夕では身に付かない幅広い視点と知識を持っている。さすが、紅教授のお嬢様といったところか。」
 
手元のレポートから目もあげずに答える絳攸に、楸瑛は苦笑する。
 
「いやいや。そういうことじゃなくてさ。あんなにかわいいお嬢さんと一緒にいて、何か楽しい進展はないのかい?」
 
「お前と一緒にするな常春。」
 
「だって、あの女嫌いのキミが女性のところに通っているなんて、よっぽど秀麗ちゃんが気に入ったってことだろう?」
 
「お前が言うと変な意味にしか聞こえんが、秀麗をそんな目でみるな。不愉快だ。
 
それよりも、秀麗の兄代わりだとかいう男に、毎回やたらと睨まれるんだが、俺はもしかして、紅教授に嫌われているのだろうか?」
 
不愉快といった絳攸の言葉に、楸瑛は、おや、と思った。予想以上に彼の気持ちは、件の少女に向かっているようだ。
 
(まだどうして不愉快なのかは自覚していないんだろうけど)
 
「確か、血のつながらないお兄さんがいるんだったね。
 
それにしても、きみは紅教授のお気に入りだろ。それにアノ方の子でもあるわけだし、嫌われているというのは考えすぎだよ。」
 
(まったく秀才のくせに、恋愛関係は疎いんだから。どう考えても、その兄代わりに、牽制されているんだろうに。 
 
しかし、自分の気持ちも自覚する前から、ライバル出現とは。いきなりハードル高いねぇ。まぁ頑張りたまえ。)
 
楸瑛が、友人の前途多難な恋愛を心配していると、後ろから、聞き覚えのある声が聞こえていた。
 
「あ~兄さま、はっけ~ん」
 
この賑やかしい声は。
 
楸瑛は振り返り小さくため息をついた。
 
「蛍。どうしてお前がここにいるんだい。」
 
「秀麗ちゃんがお父様に届けモノがあったらしくてね。兄さまに会えたら、奢ってもらおうと思ってついてきちゃった。」
 
蛍は兄から見ても美しい顔に満面の笑顔を浮かべる。そしてその後ろから、申し訳なさそうに、もう一人の少女が現れた。
 
「楸瑛さま、絳攸せんせい、こんにちは。」
 
秀麗はぺこりと頭をさげる。
 
「ああ秀麗ちゃん、こんにちは。」
 
楸瑛は挨拶を返しながらも、自然な動作で、秀麗と蛍に椅子を引いてやる。そしてちらりと絳攸を見ながら、秀麗に問いかける。
 
「どうだい。君の家庭教師は厳しいんじゃないかい?」
 
すると、秀麗は、とんでもないと首をふった。
 
「いいえ。ご自分のお勉強も大変なのに、わざわざ時間をさいていただいて、とても助かっています。」
 
いつのまにか絳攸の手は止まっていた。
 
「それに」
 
と秀麗は続ける。
 
「絳攸せんせいは、見込みのない相手には厳しくしないと父からきいたので。たくさん宿題を出されると、ちょっとうれしいんです。」
 
師に認められることが嬉しいんです、と少女は花のように微笑む。
 
それを見る彼女の師の表情もまた、宝物を見守るようだ。
 
(オイオイこれじゃ、私がお邪魔虫みたいじゃないか)
 
楸瑛はなんだか居心地が悪くなってきた。
 
そこに、楸瑛も馴染みの男子学生が数人寄ってきた。そして、秀麗と蛍に声をかける。
 
「おい楸瑛。おまえ女子高生も守備範囲なのかよ。
 
ねぇ君たち、これから暇?ひまならお茶でもどう?こんなカフェテリアじゃなくてさ?」
 
それを見ていた絳攸の眉間に、深い溝が刻まれていくのを楸瑛はひやひやしながら見ていた。
 
知ってか知らずか、蛍が、冷たく対応している。
 
「残念だけど、兄さまよりもいい男じゃないとデートしない主義なの。」
 
そう言われた男子学生は、それでも食い下がる。
 
「じゃぁせめて、電話番号だけでも教えてよ。」
 
「だ~か~ら、邪魔しないで下さる?」
 
さすがに蛍の冷たい視線に気づいたのか、男子学生は去って行った。その背中に、蛍は追い討ちをかけるように言った。
 
「まぁ、自分のことをうちの兄さま以下と思っているなんて、本当に大したことない男ね。」
 
蛍は、”一昨日きやがれ”よ、と息巻いている。
 
蛍の剣幕に恐れをなしたのか、さすがにもう声をかけてくるものはいなかったが、遠巻きに秀麗と蛍を眺めて、ひそひそ言い合ったり 
している。
 
もともと彩雲大学は男子学生の比率が高い。そのうえ二人は貴陽高校の白いセーラー服姿だ。その姿はいやでも目立つ。
 
蛍は先ほどのように自分であしらえるのを知っているので、楸瑛はさほど心配していない。
 
しかし、彼の友人は違うようだ。
 
楸瑛には聞こえていた。絳攸の堪忍袋の緒がぶちぶちと切れている音が。
 
(あらら~。こうなったら手がつけられないんだよね~)
  
伊達に彼の友人をやっているやけではない。
 
絳攸は手元のレポートと資料をばさばさと鞄にしまうと、秀麗の手を掴んで立ち上がった。
 
 
「秀麗。この前話していた参考書。これから買いにいくぞ。」
 
「えぇっ。今からですか?」
 
「なんだ?なにか予定でもあるのか?」
 
「いえ、ないですけど。」
 
そう答えながらも、秀麗は絳攸の突然の行動の意味が分からず、驚いた。
 
(そうしよう、なんだかせんせい、怒ってらっしゃるみたい。私、なにか怒らせるようなことしたかしら?)
 
「じゃあ決まりだ。楸瑛またな。」
 
「えぇ。せんせい、本当に行くんですか?蛍明日ね。楸瑛様、失礼します。」
 
残された楸瑛と蛍の視線の先では絳攸は
 
「せんせい、出口はこっちです~」
 
と秀麗にさりげなく誘導されながら出て行った。
 
しばらくの沈黙ののち、残された兄妹は顔を見合わせた。
 
「兄さま、あれって。そういうこと?」
 
「誰が見たって、そうだろ。まったく、大胆なんだか、違うんだか。」
 
「秀麗も、顔真っ赤だったね。でもあれ、本人は気づいてないよ。」
 
気づいてないのは本人たちばかりという、ある意味一番不幸な友人たちを思い、兄妹はもう一度沈黙したのであった。
 
 
 
 
「せんせい、絳攸せんせい!もうちょっとゆっくり歩いてもらえると。。。」
 
可愛い教え子の言葉が耳に入って、絳攸はようやく足をとめた。そうやら、大学近くの商店街の近くまで、きてしまったようだ。
 
そして覚えのない右手の温かさに違和感を覚える。彼の右手の温かさの主は、心配そうに絳攸を見上げている。
 
「びっくりしました、絳攸せんせいが急に出て行くから。大丈夫ですか?」
 
早足で歩いたせいか、見上げてくる秀麗の頬はほんのり朱くそまって、いつもよりもかわいい。
 
そう思ったあと、絳攸は体温が急に下がるのを感じた。
 
(”いつもより”ってなんだ?まるでおれが秀麗をいつもかわいいと思っているみたいじゃないか。
 
いや、秀麗は、かわいい弟子だが、しかし!っておれは一体何を言い訳しているんだ。)
 
彩雲大学始まって以来の才人といわれる彼の脳をもってしても、自らの置かれた状況は理解不能だった。
 
そんな彼の心境を知ってか知らずか、秀麗は心配そうに絳攸を見上げてくる。
 
「絳攸せんせい?体調が良くないんじゃないですか?手も冷たいし。」
 
(手?そういえば、なんでおれは秀麗と手をつないでいるんだ?)
 
絳攸は今更な事実に気が付き、今度は体中の血液が沸騰したかと思った。
 
(そういえば、おれが秀麗の手を掴んで、引っ張り出したんだ。)
 
「せんせい?お顔は赤いみたい。ちょっとかがんでいただけますか?」
 
もはや思考能力のほとんど残っていない絳攸は、秀麗の言葉になんの疑問も持たずにしたがった。
 
そして次の怒った出来事が、残された思考能力をすべて奪い取った。
 
こつん、とおでこに何かが当たって、
 
(しゅ、秀麗の顔が目の前に!!!!!!!!!!!!)
 
口紅など塗らなくても十分紅いくちびるも、すぐそばにある。
 
しかし、相手は、そんなことは気にも留めていない様子だ。
 
「やっぱりせんせい、少しお熱があるみたいです。
 
参考書なら、後日でも大丈夫ですから、今日はお帰りになって、ゆっくり休んでください。」
 
秀麗に言われて、絳攸はすこし安心した。
 
今日の自分は確かにおかしい。心臓が早鐘のようにうったり、体温が急上昇急降下したり。
 
たちの悪い風邪の兆候かもしれない。いやきっとそうだ。
 
「たしかに秀麗の言う通りだな。おれが引っ張り出したのに悪かった。」
 
「なにを言ってるんですか。そんなことよりも、早く良くなってくださいね。」
 
そういって秀麗は、にっこりと笑った。
 
絳攸の心臓はまた拍動のペースを速める。
 
(なんだかまた心拍がおかしくなってきた。。。早く戻って休まねば。)、
 
「秀麗。送ってやれないが大丈夫か?昨日出した宿題はちゃんとやっておけよ。」
 
「はい。せんせい。お大事に。」
 
そう言って二人は、それぞれの帰路についた。
  
 
 
ちなみに絳攸はその後3日間謎の奇病で寝込むことになった。
 
その奇病が実は、知恵熱(初めての恋患い)と知っていたのは、母親の百合と楸瑛だけだったという。
 
 
 
 
 
 
 
 
→②に続きます。
 
 
 
 
 
ちょこっとあとがき風
 
いまどきの学生さんは、レポートもPC作成だとは思うのですが。
 
なんかパソコンに向かう絳攸は想像できず、手書きレポート。
 
女子高生秀麗が書きたかったのです。
 
小鈴はセーラー服を着たことがないので、セーラー服は憧れです。