その日秀麗は父に頼まれた買い物のため街に出ていた。
日曜日ということもあって、街には人があふれている。
ファッションビルにはバーゲンの文字が躍る。
秀麗とて年頃の女の子だ。きれいな服に興味がないといえば嘘になる。
しかし、それ以上に家計の切り盛りのほうが大切なだけだ。
見ても買えないものは虚しくなるだけだと思いほとんど立ち寄ることはないが、
蛍になされるがまま何着も試着させられたこともある。
今日はやめておこう、誰にいうでもなく呟いて、歩き出す。
頼まれた買い物は一通り買い終わったことを再度確認し、
後は書店にでも立ち寄って帰ろうとしたその時だった。
ある一軒の店の中に目をとめ立ち留まる。
ガラスの中の店内に、見慣れた少し癖のある銀色の髪を見つけたからだ。
声をかけようか逡巡し、血の気が引いていくのを感じる。
彼の隣には親しげに寄り添う美しい女性がいた。
絳攸より少し年上のようだ。
はちみつ色の長い髪、派手ではないがセンス良く装い、女性らしい所作のその人は、
何事か絳攸と楽しそうに話しながら、ショーケースの中を見ているようだ。
女性の白く長い指がさりげなく絳攸の左腕に添えられている。
そして何よりも秀麗にとって悲しかったのは、その店だ。
宝飾品を扱う店。
そのような店に二人で入っていく男女と言えば、それなりの関係と相場は決まっている。
秀麗は踵を返し、足早にその場を立ち去った。
どうやって帰宅したのかも覚えていない。
気づけば自宅の台所に座っていた。
薄暗い中灯りもつけず座っていると、静蘭がお茶を淹れてくれた。
温かいカップを受け取り、ありがとうという。
中身は甘めに調整されたミルクティー。
涙の跡は拭いたはずだけど、静蘭にはすべてわかってしまうようだ。
「ありがと、静蘭兄さま。……何があったか聞かないの?」
「……聞いてほしいのですか?」
きれいな目でじっと見つめられると、心の中まですべて読まれてしまうようだ。
秀麗は首を横に振る。そうして、別のことを聞いた。
「ねぇ、静蘭兄さま。女性と買い物に行ったことある?」
唐突な秀麗の問いにも静蘭は優しい笑みで答えてくれる。
「お嬢様と、亡くなった奥様とならありますが。」
「それは駄目よ。家族だもの。」
秀麗の言葉に、静蘭の瞳に一瞬だけ影が差す。
しかし、カップの中で揺れるミルクティーを見ていた秀麗は気付かなかった。
「…それでは、ありませんね。」
「そうなの?兄さまったらもてるのに。もしかしてすごく理想が高いの?」
「…そうかもしれません。それで、買い物がどうかしたのですか?」
さりげなく話を元に戻されて、秀麗は昼間見た光景を思い出してしまった。
だが、確証など何もなく逃げ出しただけのこの状況をどう説明したものか。
いつも優しいこの義理の兄に心配をかけたくない。
「やっぱり何でもないわ。人ごみの中を歩いたから、ちょっと疲れただけよ。」
無理のある言い訳だとは分かっていた。
だが静蘭はそうですかと言ったきり、後は何も聞いてこようとはしなかった。
翌、月曜日。
いつもどおり家庭教師にやってきた絳攸は、常ならぬ秀麗の様子に動揺していた。
極端に言葉数が少なく、何より視線を合わせてくれない。
あることが理由で、自分もそわそわしていることは否定できないが、それよりも秀麗のほうがおかしい。
家庭教師は家庭教師・恋人は恋人とけじめははっきりしようと決めた二人ではあったが、
秀麗はいつも朗らかで、質問などをする時には絳攸の目をしっかりと見て話していたのだ。
耐え切れなくなった絳攸は、ノートにペンを走らせている秀麗の手を止めて聞いた。
「秀麗。何を怒っているんだ?」
黙ったままではわからないから教えてくれと乞う。
しかし秀麗の眼差しは険しい。
「絳攸せんせい、お心当たりがないと仰るのですか?」
見上げてくる瞳にいつもの尊敬と敬愛の念はなく、冷たく拒絶を示している。
だが身に覚えのない絳攸は、何の事だかわからない。
「秀麗。何か気に障るようなことをしたのなら謝るが、教えてくれなければ何の事だかわからない。」
絳攸の言葉に秀麗の瞳がより一層険しいものになる。
「絳攸せんせいは、私のことからかっていらっしゃるのでしょう?」
言葉にするとそれまで張りつめていた緊張の糸が切れてしまったのか、
秀麗の瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
しかし、絳攸は秀麗の言わんとすることがわからない。
沈黙を肯定ととったのか、秀麗はさらに言い募る。
「慣れない女子高生をからかって笑っていらっしゃったのですね。
ひどいわ。せんせいは遊びでも、私は本気で先生のことを好きになってしまったのに。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ秀麗。何の事を言っているんだ?
遊びって、そんな事を言われる覚えはないぞ。どうしてそんなことを言うんだ。」
「昨日…。見たんです。」
「昨日?何を見たというんだ。」
「きれいな女性の方とご一緒されていたでしょう?」
言われて絳攸は思い出す。
確かに昨日は、あることのために、出かけたが、その女性というのは。
5話へ続きます