幾望 5
次に絳攸に向きなおる。
「絳攸さま、軽率な行動でご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
弟子も破門していただいて構いません。もうこのような形でお会いすることもないでしょう。どうぞお元気で。」
それだけ言うのがやっとだった。
彼の前で涙を見せないのが、せめてもの矜持。だから、急いで室を出なければ。
そう思い踵を返して出て行こうとした瞬間。
再び背後で鈍い音がした。
思わず振り返る。先ほどとは逆に、絳攸が頬を抑えて、床に転がっている。
「絳攸さま!」
思わず駆け寄る。どうやら意識はあるようだ。
「藍将軍、いきなり何をなさいます。」
武官にいきなり殴られて文官に対処できるはずがない。
つい非難めいた口ぶりになってしまう。
「なにって秀麗殿。先ほどの借りを返しただけだよ。
それから絳攸、
欲しいものは何として手に入れろって秀麗殿に教えたのは君じゃなかったかな?
今日は引かせてもらうけど、今度隙があったら、今度こそ秀麗殿はもらうからね。」
そう言い残すと楸瑛は、今度は扉から出て行った。
残された二人の間には、またしても気まずい沈黙。
それでも秀麗が室を出ていかないのは、その衣の袖を、絳攸に握られているからだ。
「絳攸さま、離して、くださいませ。」
漸く振り絞った言葉は、あっさりと拒否された。
「いやだ。離さない。……一生秀麗を離したくない。」
「……絳攸さま、頭、打ちましたか?」
「いや、打っていないぞ。というか秀麗。無視しようとするな。」
「じゃあこれは夢ですね。私の願望が見せる夢。」
「楸瑛とあんなことをする願望があるのか?」
「そっちじゃありません!」
「じゃあ何が願望なんだ。」
わかってて聞いているくせに。
「な、何でもありません。」
「言うまでこの袖は離さないぞ。」
「そ、そんな勝手な。」
「勝手な男は、嫌いか?」
「嫌い…じゃない場合もあります。」
「今の場合はどうだ?」
「……。」
「秀麗、答えて。」
「……、す、好きです。」
「そうか、俺も秀麗が好きだ。」
「……。」
「秀麗、俺のものになってくれ。ってこんな恰好で言っても恰好がつかないが。」
「そうですね。でもそんな絳攸さまも案外好きなことに気付きました。」
「じゃあ、俺のものになってくれるか?」
「いやです。」
「……秀麗、今までの話の流れからすると、その返事はないと思うのだが。」
「絳攸さまが私のものになってください。」
「それは無理だな。」
「絳攸さま、先ほどのお言葉そっくりそのままお返しします。」
「だって俺はすでにお前のものだ。
お前が気付いていなかっただけで。だから改めてお前のものになるのは無理だ。」
「じゃあ、一生私のものでいると約束してください。」
「あぁ、約束しよう。」
「それなら私も、絳攸さまのものになります。」
「そうか。それでは俺のものになった秀麗にさっそく答えてほしいことがあるのだが。」
なんだか急に不穏な空気になってきた。
「楸瑛には何をされたのか、じっくりと聞かせてもらいたい。だがそれを聞くのは、軒のなかでにしよう。」
「え、軒?」
「あぁ、とある武官に殴られたので、ひとまず家に帰って静養しようと思うのだ。
秀麗、ついてきてくれるよな。」
否と言えるわけがない。