【その本音、一夜の秘密】
 
 【その本音、一夜の秘密】
 
 
 
月光が美しく差し込む中、後宮へ続く回廊を楸瑛は急いでいた。
その足取りは風流人と謳われるような優雅さは微塵もない。
彼はただただ急いでいた。
愛しい恋人の元へ。
 
(……どうか珠翠殿が怒っていませんように…!!)
 
今宵は珠翠との逢瀬の夜だ。
逢瀬は大概が珠翠の室で、定刻になると楸瑛が室を訪ねることが常となっている。
勿論今まで楸瑛がその刻に遅れたことは一度もない。
以前夜な夜な女性の元を渡り歩いていたときは、
駆け引き故に定刻を過ぎて訪ねることは幾度もあったけれど。
だが珠翠は本命なのだ。それも紆余曲折の末、やっと想いを通じることが出来た相手。
だからこそ自分の不手際で愛しい人との関係に傷を付けたくない。
 
それなのに………。
 
(黒・白両大将軍……!!)
 
早々と仕事を終えたところ、両大将軍に捕まった。
『最近弛んでるんじゃぁねぇのか?』と、問答無用で相手をさせられたのだ。
確かに自分が少し浮ついたのは否めない。今自分は人生の春真っ只中にいる、と思う。
だが少しくらいは多めに見て欲しい。なんせあの珠翠の心を自分は手に入れたのだ。
そこに至るまでの、永い…遥かに永かった道程を思えば、それは浮つきもする。
 
(一気に春から冬になったらどうしよう………)
 
既に約束の刻より二刻も遅れているのだ。
怒っていない筈がない。
 
有り得そうなごく近い未来を楸瑛は想像した。
『金輪際、もう来なくて結構!』とか言われたらどうしよう。
ある。物凄く有り得る。
烈火の如く怒る珠翠を容易に想像出来てしまう自分に楸瑛は悲しくなってくる。
 
加速する後ろ向き思考を抱えたまま、とうとう楸瑛は珠翠の室の前まで来た。
とにかく謝って許してもらうしかない。
…珠翠が取り合ってくれるかが不安だが。
 
 
「…珠翠殿、遅れて申し訳ありません」
 
扉の外から話し掛けるもいっこうに返事がない。
まずい、物凄くまずい。
 
(お…、怒ってる…!!)
 
「……珠翠殿、お願いです。どうか顔を見せてください。
直接貴女に会って謝りたい……」
 
もう一度声をかけるが、返事はなかった。
 
(仕方ない…)
 
さらに嫌われようとも。
 
「珠翠殿、入りますよ」
 
珠翠からの返答はなかった。
けれど楸瑛は室に入る。
どうしても向き合って謝りたかった。
 
室に入った楸瑛はいつもとは違うその香りに驚いた。
いつもは彼女の好きな白檀の香りでもてなされるが、今漂う匂いは。
 
(この匂いは、酒……?)
 
暗い室内は蝋燭すら燈されておらず、あるのは窓から差し込む月明かりだけだった。
その月明かりに照らされ、室の主の姿が楸瑛の目に飛び込む。
床の上に俯せのまま、珠翠は倒れていた。
 
「珠翠殿!!」
 
慌てて楸瑛は珠翠を抱き起こした。
幸い怪我をした様子もなく、静かに寝息を起てている。
その可愛らしい寝息に似つかわしくない酒気帯びた吐息と、床に転がる酒瓶を見れば、
どうやら酔ってそのまま眠ってしまったらしい。
 
楸瑛は卓上に目をやった。
楸瑛の好物の料理と二人分の皿や箸が用意してある。転がっていた酒瓶も楸瑛の好きな酒だった。
 
「……ありがとうございます、珠翠殿」
 
彼女は待っててくれていたのだ。
楸瑛の好きな物を用意して。
待たせ過ぎて珠翠に酒を煽らせてしまったが、それでも楸瑛のために作った料理はそのままに。
それが楸瑛にはとても嬉しかった。
 
楸瑛は珠翠の軽い身体を抱き、寝台へと運ぶ。
その身体を寝台に横たえようとした時、閉じていた瞼がゆっくり持ち上がった。
その瞬間楸瑛は身を固くした。平手の一つや二つ飛んでくることを覚悟した。
けれども--。
 
珠翠はその瞳に楸瑛を映すとにこりと微笑んだ。
 
「……珠翠殿?」
 
刹那、楸瑛は心を奪われた。
今まで見たことのなかった微笑み。
凜とした白百合のような微笑みでも、優しさが溢れるような微笑みでもない。
少女のような、あどけなさが滲むはにかんだ微笑み。それは美しさよりも可愛さが勝る笑み。
 
ゆっくりと珠翠の両手が楸瑛へと伸びた。
それすらも、楸瑛は気付かなかった。自分の首の後ろに珠翠の手が周って、初めて楸瑛は気付く。
今まで珠翠から触れてくれたことなんてなかった。
 
「…よかった」
「え…?」
 
ぽつりとした小さな呟きだった。少し声が掠れているのは酒で喉が焼けたせいだろうか。
 
顔と顔を近づけ、珠翠はにこりと笑った。
 
「…ちょうど。ちょうどね。貴方に逢いたいと想っていたところだったの……」
 
嬉しさが滲み出た、花のような笑み。
それは愛しい者に向けられた、彼女と心を通わせた者だけが見れる笑顔。
 
(そうか……)
 
先程の珠翠の微笑みに心を奪われたのは、恋人である自分だけに向けられたものだったから。
そして今も。
普段滅多に聞けない珠翠の言葉に、楸瑛は心を掠われる。
愛しくてたまらない。
 
「……珠翠殿」
 
口づけようとした刹那、力が抜けたように珠翠はこてんと楸瑛の胸へと倒れた。
まるで狙っていたかのようなその仕打ちに、楸瑛は思わず苦笑する。
 
楸瑛は珠翠を寝台に寝かし、掛布をかけた。
その後椅子に腰掛けると、眠る珠翠に聞こえないように『いただきます』と呟き、
卓上の冷めた料理に手を伸ばした。
この心温まる料理は今まで食べたどの料理よりも美味で、楸瑛はあっという間に平らげた。
 
箸を置き、楸瑛は寝台の上の珠翠を見遣る。
本当は自分もそのまま珠翠を抱きしめて眠りたかったけれど。
 
 
「貴女を待たせたのだから、私も待たなくてはなりませんね」
 
 
寝台の側で眠る珠翠の頬を撫で微笑むと、楸瑛は長椅子に自身の身体を横たえた。
 
眠り落ちるまでの僅かな瞬間、珠翠の言葉が蘇る。
 
『貴方に逢いたいと想っていたところだったの』
 
楸瑛は淡く笑んで、重い瞼を下ろした。
 
 
「私は貴女に逢いたくてたまらなかった……」
 
 
眠る珠翠に届けばいい、と少しの期待を抱きながら。


愛しい人の言葉と笑みは永久に

たとえ目覚めた貴女が忘れていても
 
 
飄飄飛舞の揚羽蝶みついさまから、相互記念にいただきました。
素敵楸珠です。
蒼き迷宮~をふまえて読むと、静寂の中の楸瑛様のセリフが心にしみます。
頂いた原稿を読みながら、いつもいじめてごめんね楸瑛と反省しました。
 
こちらからは、不香の花をということで、トレード成立(笑)です。
みついさまのお書きになる絳攸さまは、本当にかっこいいので、
ぜひぜひ上記リンクから、かっこいい絳攸さまに会いに行ってください。
 
 
 
 
 
 
 
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