不香の花【ふきょうのはな】
 
 
 
 
不香の花
 
 
 
 
 
「主上、そんなところで何をしておいでですか?」
 
廂の下で庭院に降り積もる雪を見ていた劉輝に声をかけたのは、この後宮の筆頭女官だ。
 
「珠翠か。」
 
「そのようなところにおいでになってはお風邪を召されますよ。」
 
「そうだな、雪を、見ていたのだ。」
 
「綺麗に、積りましたね。」
 
「うむ。だがな、少し悲しいのだ。」
 
「雪が、悲しいですか?」
 
「見ている分には、きれいだが、触れると融けてなくなってしまうだろう。」
 
「主上はそれが、悲しいとお感じですか?」
 
「……、融けてしまうとわかっていてそれでも触れたいと思うことは、あるだろう?」
 
珠翠には劉輝の言わんとすることが分かった。
 
劉輝が自らの傍にと望む者。
 
彼の者の願いを叶えてやることは、そのまま、彼女が飛び立つことを許すこと。
 
秀麗の望みなら叶えてやりたい、けれど秀麗の傍に立つ男は自らでありたい。
 
すべてを手にすることを許されている至高の存在であるが故に、
 
その掌から零れ落ちる物もある。
 
王という器の重さゆえに、紫劉輝としての望みは切り捨てる事を求められる。
 
王としての責務を果たせば果たすほどに、紫劉輝を求めるものはいなくなる。
 
その中で、ただひとり、彼のことを変わらず名前で呼ぶ少女。
 
その存在に劉輝が縋りたくのも無理からぬこと。
 
珠翠にもまた、手に入らぬことを理解していながらも焦がれた人がいた。
 
それまで人形として器だけを求められていた自分を、人として扱ってくれた初めての人。
 
父のようにも思い、しかし父以上に思ってもいる。
 
しかし、薔薇姫と邵可と過ごした、賑やかで穏やかな日々が好きだった。
 
薔薇姫と邵可の間にあるものこそが、愛というものだと知った。
 
今もかの麗しの奥方は、邵可の心の中で色褪せることなく微笑んでいるのだろう。
 
それを羨ましいと思ったことが無いと言えば嘘になる。
 
しかし、この思いが悲しいと思ったことはない。
 
彼に出会うことがなければ、こんな思いすらも知ることはなかったのだから。
 
けれど、自分と劉輝が違う、ということも分かっている。
 
劉輝の肩には、他の誰も図り知ることができない重圧。
 
そしてそれを半分持つと言った秀麗。
 
邵可に出会うことで珠翠は沢山のものを手に入れた。
 
けれど、王は求められるものが増えるばかり。
 
劉輝に与えられるものは減るばかり。
 
そんな彼が、ただ一つ求めるものを、王の権力によって手にするのは簡単だ。
 
だが、それをしないのが紫劉輝の優しさでもある。
 
「主上はお優しいのですね。」
 
「ちがう、ただ、怖がりなのだ。」
 
「主上、珠翠はお傍におりますわ。
 
外朝でのお手伝いはできませんが、
 
お戻りになったら、主上のお好きなお茶を入れて、二胡もおひきいたします。
 
時々はお忍びでお出かけになるのも良いですわ。
 
藍将軍たちとご一緒に、朝までに必ずお帰りになるなら、目をつぶりますから。
 
ですから主上。そんなお顔をなさらないで下さいませ。」
 
必死に慰めようとする様子に劉輝のほうが驚いたようで、ぱちぱちと瞬きをした。
 
「…珠翠も届かぬ恋をしているのか?」
 
あまりにまっすぐな問いに珠翠は息をのむ。
 
「そう、ですね。……していた、というべきでしょうか。」
 
「そうか。」
 
「わたくしは、その方に出会えただけで幸せなのですわ。
 
私のほうこそ、怖がりなのかもしれませんが。」
 
「そうか。こういうのを、庶民の言葉でコイバナというらしいな。
 
珠翠これからも時々余のコイバナに付き合ってくれるか?」
 
無邪気な劉輝の言葉に頷くことで答えながらも、
 
またおかしな言葉を覚えた王を心配する珠翠であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
雪シリーズ
 
風花 (楸瑛×珠翠 夫婦設定)
 
白魔と青女 (静蘭×十三姫 夫婦設定 桃色っぽいかも)
 
天華 (絳攸×秀麗 夫婦設定 桃色というよりは桜色程度に)
 
 
 
 
 
 
 
あとがき、という名の言い訳
 
父茶愛好会または邵可様に拾われっ子俱楽部に名を連ねる二人の、切ない片思い。
 
不香の花(ふきょうのはな)というのは、雪の異名の一つで、香りがない花という意味です。
この言葉を見たときに、ガラス越しに見る花というか、見えるのに触れられないという印象が浮かびました。
本来はあるはずの香りを感じることもできない。
 
ガラスの檻にとらわれている劉輝と、ガラスの檻を出ることができたからこそ囚われている珠翠。
切ないけれど、どこかリアリティのない恋心。
そこが触れればたちどころに融けてしまう雪のようでもあります。
恋情というよりは慕情という言葉が似合うようなそんなニュアンス。
 
楸瑛には悪いけど、やはり劉輝のメンタルケア係として珠翠には後宮にいてほしいな。
だって十三姫は静蘭のところに御嫁にいくから。
え?秀麗ですか?そんなのもちろん絳攸さまのところにお嫁入りですよ。
決定事項ですが何か?
 
余談ですが、この話と梅シリーズの氷塊は小鈴の中ではつながっています。
というか、氷塊のあとがきに書いた、小鈴の思い込みに基づいて書いているのです。
というわけで、一応反転↓しておきます。閲覧は自己責任で。
秀麗は劉輝に恋情はないけど愛情はある。
でも劉輝の「好き」こそひな鳥が殻を破って最初に見たものを親と思いこむような感じ。
そこを乗り越えないと二人の幸せはないと思うし
李姫派だということを差し引いても、秀麗がいま目指している幸せは後宮に入ることで道が閉ざされる。
劉輝の帰りを待って、貴妃として安らぎを得ることはできるかもしれない。
それはそれで幸せの一つの形ではあるのですが。
小鈴は秀麗には、仕事も女の幸せもあきらめてほしくないのです。
そうすると秀麗の相手は自ずと高官の誰かということになると思います。
なんてここでいくら書いても、最終的にはヒーローが報われるのでしょうが…。
話がそれてしまいましたが、珠翠も劉輝の気持ちの質を見抜いているのではないかと思うのですね。
自身が邵可に抱いた思いと同じように。
ただ、自らが経験したことのある思いだからこそ、否定もしたくない。
ごまかすように慰めたのは、珠翠なりのぎりぎりのラインなのです。
後押しすることが良いとも思えないけど、芽を摘むことに残酷さにも耐えられない。
珠翠もまた、優しいのです。
 
 
 
 
 
2010年2月25日 小鈴
 
2010年5月9日 飄飄飛舞マスターの揚羽蝶みつい様のところへ、相互記念にお嫁入り
 
 
 

 
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