天華
 
 天華
 
 
  
 
 
眼前に広がる銀世界。
 
普段丁寧に手入れされている、花も池もすべてを包み込む雪。
その雪がすべての音を吸い取ってしまったかのような静寂の中、
この家の主の独り言がひときわ大きく響いた。
「あいつは一体何をしているんだ。」
 
李絳攸が見つけたのは、一面の雪の上についたひと組の足跡。
この家の住人でこのような足跡を付けるような人間は、一人しか思い当たらない。
そしてその人物こそが、今まさに彼が探し求めている人物である。
 
しばしの逡巡ののち、絳攸はその足跡を追うように庭に下りた。
池の淵を通り、庭の一番奥、その先のきっと彼女はいる。
この庭の中でもその場所が彼女のお気に入りだから。
 
そのことを考えると、自然と頬が綻ぶ。
絳攸の予想通りの場所に、彼女はいた。
 
「秀麗、何をしている?」
呼びかけに気づいて初めて振り返った妻は、少しだけばつの悪そうな顔をした。
悪戯を見つかった子供のようだ。
「絳攸さま。すぐに戻るつもりだったのですが…」

言い訳するようにそう言った彼女の向こうには、すももの木。
秀麗がどうしてもと言って、嫁いできてから植えたものだ。
そして、その木を、この庭の中でも特に大切にしているのを知っている。
きっと今日も、この雪で枝が折れていないか気になって見に来たのであろう。

家人をやるのではなく、自ら確かめに来るのが彼女らしい。
しかし、このような中に長くいれば体を冷やす。
「風邪をひくぞ。」
そう言うと、妻の体を抱き上げる。
秀麗は、少し驚いたようだったが、すぐ絳攸の首に手をまわし、体を預けてきた。

抱きしめた妻の体は、予想以上に冷え切っている。
「一体いつからあそこにいたんだ?」
「枝が折れていないのを確認したら、すぐに戻る予定だったのですが、
  蕾が目について、見入ってしまいました。申し訳ありません。」

その返答もまた、彼女らしいと思った。
彼女の歩んできた道は、けして平坦なものではなかった。

官吏として上を目指せといった自分の言葉は、吹雪の中を一人で歩き続けろというようなものだ。
それでも彼女は官吏として一歩ずつ確実に上ってきた。
どんな時でも決して諦めるということをせず、希望の光を目指して前へと進む彼女。

そんな彼女だからこそ、雪の中の固く閉ざした蕾にも目をとめるのであろう。
しかも、千尋の谷に突き落とすようなことをした自分を夫として選んでくれた。
それなのに、そのことが自分に与えた幸せなど微塵も気づいてなどいない。

現に彼女は、今自分が思っていることなど、気づきもしないで話を続ける。
「こんな寒くても、ちゃんと春が訪れることを知っているのですね。
  なんだか見習わなくちゃと思いました。」

その言葉が、少し気になった。
「何か、落ち込むようなことでもあったのか?」
唐突な絳攸の問いに秀麗は驚いたようにこたえる。

「……どうして、絳攸様にはわかってしまうのでしょう?」
「俺でなくても気付くだろう。雪の中で蕾をずっと見ていたなどと言われれば。」
「いいえ、それでお気づきになるのは絳攸さまだからですわ。」
腕の中の妻が腕にぎゅっと力を込めたのを感じた。

「それで、どうしたんだ?」
絳攸のさらなる問いかけに、秀麗は意を決したように話し始めた。
「絳攸さま、蕾が付くのは、花を咲かせるためでしょう?」
「ああ、そうだな。」
妻に逆に問われて、少々戸惑いながらも答えると帰ってきたのは更なる問いだった。
「では、花は何のために咲くのですか?」
「実を結ぶためか。」
そう答えながら、妻が蕾を見続けていた理由が漸くわかった。

求婚した後、彼女から告げられた事実。
それは、彼女は子を望めない体であるということ。
その話自体は確かに衝撃的なものではあったが、
  絳攸が秀麗に求めたのは、ただ、互いにそばに寄り添うことだけ。
そのことを秀麗にもよく話し、秀麗も絳攸の気持ちを理解した上で結婚したはずだった。
だが、秀麗はやはりそのことを負い目に感じているようだ。

「私、本当は分かっているのです。
  絳攸さまに、他にも奥さまを迎えていただくようにすることが、私の務めだと。
  でも、ほかの女人が絳攸さまのおそばにと思うと、それだけで悲しくなってしまって。
   妻、失格ですね。」

その言葉に絳攸は怒りを感じた。

秀麗にではなく、自分自身に対して。
自分では理解されていると勝手に思っていただけで、
  それ以上秀麗の気持ちを慮ることがなかった自分。

結果的に、秀麗の心の中には、いつも不安があったのだろう。

室の中に入り、家人に命じて、湯を持ってこさせた。
冷え切った秀麗の足を桶の中に張った湯で温めてやる。
そうして温まった足をふいてやりながら、絳攸は話し始めた。

「秀麗。不安にさせてすまなかった。
   だが、俺はお前意外に妻をもつつもりはない。だから、そんな心配はしなくていいんだ。」
「でもそれでは、」

跡継ぎが、体面がと続けようとする秀麗を遮るように口づける。
呼吸すらも奪うような深い口づけ。
「他の誰が何を言おうが関係ない。
  俺と一緒にいることだけを考えろ。それが、俺が妻に求めることだ。」
「こう、ゆうさま」
秀麗の瞳は先ほどの口付けのせいで焦点が定まらない。
その秀麗にさらに言いつのる。

「秀麗。聞いてくれ。俺はお前を不安にさせた不甲斐ない夫だ。お前は、他に夫を探したいか?」
 射抜くように真っ直ぐに自分を見る瞳。
この人のかわりを探すなんて、考える余地すらない。だから、伝える。
「いいえ、いいえ。私には絳攸さまだけです。他に夫を探すなど……。」

そう言いながら、先ほどの質問が彼の優しさだと気づいた。
秀麗の髪をゆっくりと何度も梳いてくれる掌にも、慈しみが滲み出る。

「俺も同じだ。俺たち二人で夫婦なんだ。他にかわりを探す必要などないだろう。わかってくれたか。」
絳攸の言葉に、秀麗は無言で頷いた。

一呼吸のち、秀麗の瞳にいつもの光が戻った。
「絳攸さま、困らせてしまってごめんなさい。」
恥ずかしそうに謝る彼女も愛おしい。

その姿を見ながらあることを閃いた。
絳攸の瞳に怪しい笑みが宿ったのに気付かないまま、秀麗は絳攸の胸元に頭を預けてくる。
その耳元に絳攸はそっと囁く。
「そんなに子のことが気になるなら、できるように努力してみるか?」
秀麗の頬にたちまち朱が差す。その姿が可愛くて、火がついた。
「邵可様も不可能と言われたことを変えたんだ。俺だって変えてみせるさ。」
そう言いながら、絳攸は秀麗の襟元を寛げ始めた。

普段の絳攸なら絶対に、こんなことはしない。
夫婦のことはいつも、湯を使い、臥室に戻った後だ。
「こここ、こうゆうさま、まだ、昼間です。」
「関係ないな。」
「ここは、居間ですし。」
「臥室に行くか?」
そういうことではなくて、という間にも、絳攸の唇は秀麗の肌をついばみ、衣は乱されていく。
そうして秀麗の心にも火を付けた後に、絳攸が問う。
「秀麗は、いやか?」
「……いやじゃ、ない、です。」
口に出したことで、改めて羞恥心を意識する。

絳攸によって衣が寛げられて、秀麗の白い胸元が顕わになる。
普段は秀麗が恥ずかしがるので、灯りも控えめにしている。
改めて白日の下にさらされた妻の肌の白さに、絳攸は思わず見とれていた。
触れれば溶けてしまう雪よりも、さらに透き通るような肌。
じっと見られていることがいたたまれなくなったのか、秀麗が、寛げられた襟元を直そうとする。

その手を絡め取って、絳攸は言った。
「見せてくれ。」
「……、こうゆうさま、恥ずかしいです。」
「俺しか見ていない。恥ずかしがらなくても大丈夫だ。それに、お前の肌は白くてとても美しい。」
「絳攸さまだけと分かっていても、明るいと思うだけで恥ずかしいのです。」
そのかわいい言い訳に、絳攸は少し笑って、その後ふと思いついたことを言った。

「明るいのが気になるなら、いい方法があるぞ。」
「?なんですか?」
邪気のない顔で問うてくる妻の耳元で絳攸は囁く。
「秀麗の目を、何かで覆ってしまえばいい。」
予想もしなかった夫の言葉に、秀麗の顔は真っ赤に染まった。

「…今日の絳攸さまは、意地悪です。」
「そんなことはない。
  秀麗は明るいのが気になる。俺は秀麗の美しい肌が見たい。
  両方の希望をかなえる良い案だと思うがな。」

真面目な顔で言う絳攸に、秀麗は首を横にふる。
「それでは、わたくしが、絳攸さまのお顔を見ることができないから、だめです。」

そんなことを言われては、先ほど絳攸の心に点いた火が大きくなるばかりだ。  
秀麗の白い肌の上に、ゆっくりと口づけていく。

しばらくそうして秀麗の肌を味わった後、絳攸は改めて、自分の下に横たわる秀麗を見た。
ところどころに散った紅によって、その肌の白さが一層強調され、艶めかしい。  

それにしても絳攸のつけたしるしは、まるで。
「花のようだな。」
「花、ですか?」
「俺の花だというしるしのようだ。」
そうして満足げに微笑む夫の顔は美しい。

いつもの凛々しい表情も好きだが、この様なときにふと見せる柔らかい表情こそ、花のようだと秀麗は思った。
視線が交わって、またどちらからともなく、唇を寄せ合う。

いつの間にか、玻璃の張られた窓の内側は曇っている。
外界から隔絶された室の中で、いつまでも愛を交わしあう二人だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
雪シリーズほかの作品
 
風花(楸瑛×珠翠 夫婦設定) 
 
白魔と青女(静蘭×十三姫 夫婦設定)
 
不香の花(劉輝・珠翠登場 それぞれの片思い)
 
 
あとがき、という名の言い訳
 
風花・不香の花・白魔と青女に続く雪シリーズです。
 
結構新婚のころのイメージ。
 
絳攸さまは壊れています。
でも真面目にこんなこと言いそうな気もする。(←多分に小鈴の願望です)
だって血はつながっていなくても黎深の息子だから。
 
タイトルの天華(てんげ)は雪の異名です。
仏教用語で天上界に咲く花のことだそうです。
私の中の李姫夫婦は、お互いが唯一・特別というイメージなので
恥ずかしげもなく天上のとかタイトルに使っています。
彩雲国にガラスがあるかどうか不明ですが、最後を書きながら、
タイタニックで車の窓がくもるシーンがあって、いやん、と思ったな~などと思い出していました。
 
絳攸さまはそういうことに対して、基本的にはお行儀良さそうですよね。
お風呂入って、お部屋暗くして、なんなら、向かい合ってよろしくお願いしますの一礼の後にって感じ。
なのに、と思って読んでいただければ、小鈴の中でいかに絳攸さまを暴走させたかが伝わるでしょうか?
でも貪欲になった絳攸はある意味楸瑛よりもすごい気もする。
 
 
 
2010年4月23日 前後編に分割していたものを1ページに統一。内容変更はなし。
 
 
 
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