風花
 
 
 
風花
 
風の強い日だった。
身を切るような風に、白い結晶が混じっているのを窓から確認した後に、
楸瑛は妻のほうに振り返り、告げる。
「どうやら今日は出かけられそうにありませんね。」
 
「その割には、嬉しそうになさっておいでですね。」
答えるときにさえ、妻はその美しい顔をあげようともしない。
 
実はそんなところも好きなのだが。
だから、気にせず話を続ける。
「たまの公休日に、
誰にも邪魔をされずに珠翠どのと過ごすことができるのですから、喜びますよ。」
 
そこで、ようやく珠翠が顔をあげた。
「旦那様が外出されないのはわかりましたが、
私は旦那様と過ごすとは申し上げておりませんが?」
 
それだけ言うと手元の本に視線を戻す。
楸瑛はその傍に笑いながら近づくと、
長椅子に座る珠翠の隣に腰掛け、そのまま本を取り上げた。
 
突然のことに珠翠は驚いたようで、
楸瑛に向けた視線にはあからさまな非難の色がにじみ出ていた。
何をなさいますというその言葉を最後まで言わせず、唇をふさぐ。
 
唇からお互いの熱を感じる行為はそのままに、
楸瑛は器用に珠翠を長椅子の上に横たわらせた。
最初こそ少し抵抗するような素振りを見せた珠翠も、
慣れたことと、すぐに呼吸を合わせてくる。
 
ようやく二人の唇が離れると、楸瑛は珠翠に言った。
「外出もできず、このように寒いとなれば、二人で暖まるのが一番でしょう。」
反論の余地を残さない言葉。
 
それでも黙っている珠翠ではない。
「わたくしは、先ほどのまま本を読んでいるのが暖かくて有意義でしたけれど。」
いつもながらの冷たい素振りに、思わず楸瑛も嘆息する。
「全く、貴女は今日の雪のようなひとですね。」
 
「今日の、雪ですか?」
「はい。
ひらひらと舞って、手に入れるのは難く、
ようやく掌に舞い降りたと思ったら、すぐに溶けてなくなってしまう。」
 
「あら、心外ですわ。
風花の様といえば、私の存じている殿方にそのような方がいらっしゃいます。
あちらの枝か、こちらの軒かとひらひらと思わせぶりで、
漸く留まったと思っても、すぐに溶けていなくなってしまう、そんなかた。」
 
「世の中には美しい枝も、こまやかな気の遣われた軒も多いですから、
留まる場所を決めかねるのでしょう。
しかし、それで女人の心を痛めさせるようでは、男の風上にも置けませんね。」
 
真面目な顔で空とぼける楸瑛に、珠翠のまなじりが上がる。
「あなた様のことを申し上げているのですけれど。」
 
しかし楸瑛は笑って否定する。
「私には珠翠どのしかおりません。
しかしもしもそのように御心配なら、
どこにも行かぬように珠翠どのが捕まえていてくだされば好い事です。」
 
「心配などしておりません故、どちらへなりと、お出かけくださいませ。」
「ですからどこにも参りませんと申し上げているではありませんか。
それよりも、貴女のつれない言葉で冷え切った私の心を温めるのを手伝ってください。」
 
言うが早いか楸瑛は珠翠の首元に唇を落とし、帯をほどいていく。
首元に感じる熱に、少し浮かされたようになりながらも、
珠翠は最後にささやかな抵抗をして見せた。
 
「わたくしよりも、旦那様のほうが、温かなようですわ。
これ以上温める必要はないくらい。」
 
そう言いながらも珠翠のほうからも口づけをしてきたから、
ただの照れ隠しだとわかっている。
 
「それでは、私の熱で、氷に閉ざされた珠翠どののお心を融かしてみせましょう。
見事融かした暁には、相当の褒美がいただけるのでしょうね?」
 
   そうして細めた眼には、見惚れる程の色香。
この瞳を知っているのが自分だけでないと思うと、
心穏やかではいられなくなる。
だから少し、意地悪を言った。
 
「ええ、何でもお心のままに差し上げましょう。
けれども、褒美となるものでしたら、今は差し上げることができませんね。」
 
そういうと寛げられた襟元を直して微笑む。
それを見た楸瑛は、一瞬しまったという顔をしたが、
すぐに何かを思いついたように立ち上がり室を出て行った。
 
しばらくして戻ってきた楸瑛が手にしたものは一枚の掛布。
そして、長椅子に座りなおすと、両の手を珠翠に向けて広げてくる。
意味が分からず、黙ってみていると呆れたように嘆息される。
 
「珠翠どの、此方へいらしてください。」
自分の膝の上に来いということか。
「座るところはたくさんありますから。」
そう言って断っても、再度こちらへと誘われる。
「こうして二人でいれば温まりますよ。」
彼らしからぬ無邪気な笑顔を向けられると、
不覚にもこちらまで笑顔になってしまう。
 
だが、こうも彼の意のままにされるのはやはり悔しい。
 
だからあえて言ったのだ。
 
「確かに、御褒美を差し上げるとお約束いたしましたから、
その通りにいたしましょう。」
 
そう言って美しく微笑む妻に向って、
今さら、これは手段であって目的ではないのだとは
反論できなくなってしまった楸瑛であった。
 
腕の中に納まってくれた妻の表情は知ることができない。
しかし、しばらくして彼女が発した言葉は意外だった。
 
「私が雪なら、融けるのも良いですわね。
だって融けたら春になるのでしょう?あなたは春がお好きですから。」
「あなたがいない春など意味がありません。」
「お言葉だけはお優しいのですね。」
いったい、いつになったら自分の真心は彼女に通じるのだろうか?
この腕の中に彼女がいるだけで、自分には春だというのに。
 
 
 
 
 雪シリーズ
 
 
 
 
 
 
 
あとがき、という名の言い訳
 
春(梅)の話をUPした後に、雪の話を書きたくなりました。
 
そして例によっていろいろ素敵な名前があり、
がんばっていろいろ書いてみようと思います。
確かにらぶらぶの筈なのに、なんとなくその自信がない二人。
裏テーマは「お預け」
その気だった常春に、「待て」というブリーダー珠翠。
 
 
 
2010年2月23日 小鈴 
 
 
 
2010年4月23日 前後編を1ページに統一
 
 
 
 
 
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