真珠星
 
 
 
 
 
 
真珠星
 
 
真夜中、珠翠は覚醒した。
 
ぼんやりとした意識の中で胸元をさぐる。
 
剝された筈の夜着も、
 
乱れていたはずの掛布も
 
全て何事も無かったかの様に整えられていた。
 
毎夜のことだ。
 
敷布に残った僅かな湿り気だけが、確かに現実のことと知らしめる。
 
自分が意識を手放した後、
 
それらを整えてくれたであろう人は、隣で静かな寝息を立てている。
 
 
 
そっと彼の方の両側に手をついて、その顔を覗き込む。
 
毎夜、楸瑛は狂ったように自分を求めるから、
 
いつも最後には今日のように意識を手放してしまう。
 
だから、彼の寝顔を目にすることは、ほとんどない。
 
整った顔だと思う。
 
以前後宮で見かけていた時は、
 
警戒心を漂わせた武人としての顔か、
 
あるいは女官を相手にした誰が見ても優しげな顔かそのどちらかの顔だった。
 
だが彼の妻となり、初めて知った顔がある。
 
家の中で二人になったときだけふっと見せる顔。
 
その顔が一番好きだ。
 
 
 
優しげな印象はそのままに、
 
しかしいつもどこか張りつめている何かが、自分の前でだけ融けたようになくなる。
 
そこに感じられるものが、寛ぎというものであるのだろうと思う。
 
そして、彼にそれを与えることができるのが自分だけという事実が、
 
自分にもまた悦びをもたらしてくれる。
 
 
 
心の中からわき出ているような温かい気持ちを表す様に、
 
そっと眠ったままの額に口づけをした。
 
普段の自分なら、こんなことは絶対にしない。
 
きっと満月のせいね、と誰にともなく言い訳する。
 
同時に手首を突然つかまれて、驚いた。
 
「それなら、月が欠けることなどなければ良いのに。」
 
「……起きておいでだったのですか。」
 
「悲しい夢を見たのでね。それで目が覚めました。」
 
「悲しい、夢ですか?」
 
「ええ、貴女が天女で、天に帰ってしまう夢でした。」
 
「何か愛想を尽かされるようなことをなさったのでしょう。」
 
過去の自分の行いを、胸に手を当てて考えてみてくださいませと
 
そっぽを向こうとする顔を捕まえられて、唇をふさがれる。
 
息ができなくなるほどの長い口づけ。
 
ようやく解放された後、彼は唐突に話を始めた。
 
 
 
「珠翠どの、ご存知ですか、真珠星の話を?」
 
そっと髪をなでながら囁くその声も、そのかんばせと同じく、多くのものを魅了する。
 
「真珠星、ですか?」
 
彼の胸に頭を預けたまま、聞き返す。
 
耳に感じる彼の鼓動が心地よい。
 
「西の国の昔話なのですがね。
 
太古の昔、神々は人と同じく地上に暮らしていたそうです。
 
ところが人々が憎み合い、争いを繰り返しているうちに、
 
神は一人また一人と天に帰ってしまいました。
 
最後に残ったのは正義と豊穣の女神だけだったのですが、
 
彼女の教えもまた人々に届くことはなく、
 
ついには彼女も天へと帰ってしまったのです。
 
天に帰った彼女の持った稲の穂先がひときわ輝く星となり、
 
その美しさから、人々はそれを真珠星というようになったそうです。」
 
 
 
「それではその女神は、
 
心を地上に残したままで、天へと帰ったのですね。
 
穂先の輝きは、人々に正義と平和を伝えたい彼女の心なのかもしれません。」
 
何気なく、思ったことを口にした。
 
ところが急に強く抱きしめられる。
 
「ちょっと、どうなさいましたの?」
 
わけがわからず抵抗する。しばらくして、ようやく力をゆるめられた。
 
そうして再び覗き込んだ彼の顔に浮かぶ哀の色。
 
「貴女は、天に帰らないでくださいね。」
 
言われていることの意味がわからずただ首を傾げていると、
 
夫は自嘲するように言葉を続ける。
 
「私はただの愚かな男です。
 
貴女をつなぎとめるものなど何もない。
 
だから、私を置いて天に帰ってしまうのではないかと心配なのですよ。」
 
 
 
その言葉を聞いて、不覚にも嬉しいと思ってしまった。
 
自分の知る彼は、花から花へと渡り歩く蝶のような男だ。
 
結婚以来、そのような遊びをきっぱりと絶っていることは知っていても、
 
彼の帰る場所が自分であるのかどうか、不安に思うこともある。
 
だが、彼は、自分が必要だと言ってくれているのだ。
 
それが何よりも自分をつなぎとめるものだとは気付きもしないで。
 
そんな彼の黒く長い髪の先を弄びながら、小さな声で答える。
 
「私の帰る場所は、私の天はここですもの。他にどこに帰れと仰るのですか?」
 
恥ずかしくて頬が赤らんだのが見えないように、顔は彼の胸につけたまま。
 
「ずっとそう言っていただけるように努力しますよ。」
 
その優しい言葉に、ずっと捉えられていたい、
 
そう思いながら珠翠は再び眠りへと落ちて行った。
 
楸瑛もまたそれを確かめるようにして、眠りにつく。
 
窓の外の円い月だけが、二人をそっと見守っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
星の異名
 
 
 
 
 
 
 
 
あとがき、という名の言い訳
 
極の星UPしたあとに、とあるから感想をいただき、その中で
楸瑛と珠翠も読んでみたいな」などと書いていただいたので、
調子に乗ってすぐ書いた小鈴です。
おだてられると木に登るこぶたちゃんだぜ。
梅シリーズ(はなぞむかしの)に続き、星もシリーズ化するのかは、神のみぞ知る。
 
 
さて今回のおはなしのタイトルについて
真珠星はですね、春の夜に青白く輝くおとめ座の1等星です。
よく知られた名前は、スピカ
てへ。
こんなところに尊敬サイト様への愛をこめてみましたよ。でも楸珠ですけど。
李姫じゃないのかよ。
というかこんなところにこっそり書く時点でねちっこくて嫌われそう。
それでも書きます。は○ちさま、お気に召したら、お持ち帰りくださいね。
 
 
極の星と同じく、寝台の上で幸せについて考える二人です。
 
絳攸とは別の意味で、楸瑛も幸せに慣れていない感じがします。
絳攸は手に入れたものが本当に手に入ったのか不安な人生。
楸瑛は何でも手に入るのに欲しいものだけは手に入らない人生。
 
まぁでも一度返上した「花」を自力で奪還したのですから、その辺が彼の人生の転機ということで。
私のイメージでは、向こう側を向いて寝ている珠翠の後ろから、いつのまにか楸瑛が抱きついていると思う。
そして珠翠は実はそうされるのを待っていると思う。
またくっついてきて!ってぶつぶつ言う珠翠と、怒られながらも嬉しい楸瑛の幸せな朝の習慣。
 
あと秀麗の寝顔を見る絳攸はにこにこしてそうだけど、珠翠の寝顔を見る楸瑛はにやにや してそう。
 
そんな妄想ばっかりしています。
 
 
 
 
 
 
 
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