三千代草
 
 
 三千代草
 
 
 
 
 
「珠翠どの、お花見に行きませんか?」
 
公休日、夫の唐突な提案に珠翠は戸惑った。
 
「お花見、ですか?」
 
以前まだ自分が後宮の筆頭女官だったころ、
 
彼は同じようにふらりとやってきて、そして花見にと言ったことがあった。
 
あの時は、雪の降りしきる中春を告げる梅だった。
 
しかし、もはや雪も融け、かといって桜にはまだ早いこの時期の花と言えば、なんだろう?
 
「桃の花が、咲いたそうですよ。」
 
楸瑛は、珠翠の疑問に答えるように口を開く。
 
「旦那さまのお花見は、いつも、変わったお花ですのね。」
 
何か意味でもあるの?と問う。
 
「私のとっての一番の花は貴女ですが、花を見ている貴女は一段とお美しいから。」
 
だからいろいろな花を見せたくなるのです、と当たり前のように言う。
 
「そのようにお心を砕いていただいたのなら、出かけないわけにはまいりませんね。」
 
その言葉に楸瑛は、ではまいりましょうと手を引いてくれた。
 
なぜ、素直にありがとうと言えないのだろうと思う。大体において彼は自分を甘やかしすぎなのだ。
 
いつも自分の欲しいものは、口に出す前から彼によって用意されている。
 
ありがとうと素直に言えない自分すらも、彼はにこにこと嬉しそうにみている。
 
他人から見れば年上の妻で、自分のほうが主導権を持っていると思われるに違いない。
 
だがその実、支配されているのは自分のほうなのだ。
 
いつも彼が先回りして心地よくしてくれるから、
 
彼の鳥かごから逃げ出そうという気にすらならない。
 
彼の手に導かれるままに軒に揺られ、たどり着いたのは川べりの桃園。
 
 
 
紅から白へ順々に変化していく様々な色。
 
全てが桃の花だという。
 
思わず見惚れていた珠翠の横で、楸瑛は不思議なものを取り出した。
 
切り抜かれた、白い紙。見ようによっては人型ともとれるが。
 
「東の嶼国の風習でね、魔よけの意味があるそうですよ。」
 
それでも意味が分からずにいると、さらに説明してくれる。
 
「この人型で体を撫でて穢れを移し、それを川に流すのです。そうすることで、無病息災を願うのです。」
 
「まぁ、ずいぶんかわいらしい迷信を信じていらっしゃるのですね。」
 
きっと宮中で見せているのとは全く別の顔。
 
もしかしたら、自分だけが知っているのかもしれない、彼の顔。
 
「迷信でもなんでも縋りたいのです。貴女と少しでも長くいるためでしたらね。」
 
「そんなことおっしゃって。そのうちに私に飽いておしまいになるのでしょう。」
 
やはり素直に自分も一緒にいたいと言えない。
 
そんな自分に彼は笑って問うた。
 
「珠翠どの、蟠桃をご存じですか?」
 
「ええ、確か、仙界になる不老長寿の桃でしたわね。」
 
「その通りです。天女を統べる天界の王の娘が育てている桃の実で、一つ食べれば三千年の命を得るといいます。
 
でも蟠桃をいくつ食べたとしても、私に貴女を飽きさせることなどできませんよ。」
 
永遠に飽きることはないのだと、そんな恥ずかしいことを事もなげに口にする。
 
「まぁ、私のほうが三千年も生きることなどできませんわ。ですからそのあとに、他の姫君とお楽しみ遊ばしませ。」
 
上気した頬を見られないようにそっぽを向くと、背中ごとすっぽりと彼の腕の中に包み込まれてしまった。
 
「貴女は天女のようだから、三千年では足りないかもしれない。」
 
「…、普通の人間で、しかもあなたよりも年上なのですから、どう考えても私のほうが死ぬのは先ですわ。」
 
そんな当たり前のこと。けれど彼は真剣に困ったように言う。
 
「だめです。私に貴女のいない世界で過ごせというのですか?
 
蟠桃を手に入れることができたら、私ではなく貴女に食べさせなくてはいけませんね。
 
貴女は、私なしでも過ごしていくでしょうから。そうだ、そのほうがいい。」
 
 
ありもしない蟠桃のことで、こんなにも真剣になる彼がなんだかとても愛おしい。
 
「……、そうしたら、私は三千年の間、あなたよりもいい殿方を探し続けるのですか?
 
そんな難しいことを押し付けるなんて、酷い方。」
 
回された彼の腕に自らのそれを重ね、少しだけ、力を込める。
 
しばし、二人でそうしていた。
 
そして意を決して伝える。
 
 
「決めました。蟠桃が手に入ったとしても、二人とも食さないことにいたしましょう。」
 
その言葉が意外なものだったに違いない。
 
なぜ?と問う楸瑛の腕に少し力が加わったのを感じた。
 
「時間があると思えば、一日一日がおろそかになります。
 
ですから、限られた人としての時間、精一杯わたくしを愛してくださいませ。」
 
「それでは、今と何も変わりませんよ。」
 
もっと愛したいのに、と言ってくれる夫の言葉は嬉しいが。
 
「それで良いのです。私は、十分幸せです。その代り、私が老女になっても変わらないでくださいね。」
 
そう言って体の向きをかえ、彼の胸に顔をうずめた。
 
「やはり、花を見ている貴女は、一段とかわいらしい。次は桜を見に行きましょうね。そして、来年もその次の年も。
 
年を取ったら、孫にでも連れてきてもらって、またいろいろな花を見に行きましょう。約束ですよ。」
 
「はい、旦那さまこそ、約束を違えないでくださいませね。」
 
最後まで可愛げのないことしか言えない自分が歯がゆい。
 
けれど、こんな自分でも彼はずっと一緒にいてくれるという。
 
こんな幸せをずっと与え続けるという。
 
ありがとうと言うかわりに彼の背に回した手にそっと力を込めた珠翠だった。
 
 
 
 
 
 桃シリーズ
 
 燃実~もえみ~(黎百 百合視点)
 
 銷恨の客 (李姫 夫婦設定 若干桃色)
 
Peach~かわいいひと~(静蘭×十三姫)
 
 
 
あとがき、という名の言い訳
 
お花を買いに行ったら、ひな祭りセットで桃の花も売っていました。
そうしたら、桃の話も書きたくなりました。
とりあえず、楸朱です。
 
他のカプも書きたいのですが、梅程良い名前がないのですよね~。
さらには、一日1話ペースでは、ひな祭りが終わってしまう。
まぁ、桃の花の季節には変わりないし、マイペースでいきます。
今回は楸瑛にぞっこんラヴ(死語)の珠翠さんを書いてみました。
途中自分の中のドSが突如発動して、夢オチってありかしらとか思いましたが、一応こういった形で。
タイトルの三千代草は桃の異名です。
西王母の桃園の桃は、食すと3000年寿命が伸びると言われたことから、ついたそうです。
これにちなんで、ずっとそばにいたい二人をテーマに書きました。
 
 
楸瑛は珠翠が手に入ったら大事に大事にすると思うのです。
珠翠がつんつんしていてもそれはそれで可愛いなぁ~と思ってみていそうです。
 
珠翠は邵可にときめきを感じていましたが、
邵可にとっては珠翠は娘だと思うのでそうすると、
絳攸(本当の娘婿)・静蘭(気分的に息子)・楸瑛(ある意味娘婿かつ気分的に息子の義兄)という素敵な三兄弟が誕生。
元祖紅家三兄弟よりもある意味恐ろしい気がします。
主上仲間はずれにしてごめんね。でもここは李姫サイトなんだ。けして主上のことが嫌いなわけではないんだよ~。
というか邵可さまはみんなのパパなんだな。抜けバージョンの邵可パパには癒されるもんね。
 
 
 
 
 
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