臥室に生けられた枝。今にも綻びそうなほど膨らんだ蕾は、濃い珊瑚色。
おそらくは、妻の活けたものだろう。
自身も官吏として忙しく過ごす中、それでもこのような心遣いをかかさない。
秀麗のそのようなところも愛しいと絳攸は思った。
それにしても、桃の花とは。
寝台に腰掛け、活けられた花を眺めていると、秀麗が臥室に入ってきた。
「絳攸さま、お休みにならないのですか?」
「…、花を見ていた。これは、桃か?」
「はい。桃の花です。」
そう言いながら寝台に寄ってきた妻の細い腰を捕まえて、自らの膝の上に座らせる。
夫婦となって一年以上になるのに、このような触れ合いを、秀麗は相変わらず恥ずかしそうにする。
けれども、腕の中の温もりは、絳攸をひどく安心させる。
妻の黒く、つややかな髪に指をからませながら、先ほどから思っていたことを口に出す。
「珍しいな。」
秀麗は言葉の意味がわからなかったようで、首を傾げている。
「珍しい?…桃の花がですか?」
「いや。いつも秀麗が生けてくれる花は、草が多いだろう。このように実のなる木の花は珍しいと思ってな。」
「まぁ、絳攸さま、酷いですわ。私が、食べることにしか興味がないと思っておいでですのね。」
ぷくりと膨らませた頬が、まるで桃の実のようだ。
あまりに可愛らしいから、耳から頬へ甘噛みするように口づけた。
秀麗は少しくすぐったそうにしながらも、受け入れる。
「そんなことはないが。だが、食べられない花と、食べられる実では、実のほうが好きだろう?」
だから珍しいのだと告げてやる。
「……確かに、ただ花と実を比べるなら、食べられる方が良いに越したことはありませんが。
桃は、特別ですから。」
「特別なのか?」
鸚鵡返しに聞くだけの普通の会話。それがとても幸せだなと思いながら聞いていた。
「はい、『桃は銷恨(しょうこん)の客』ですから。」
「なるほどな。恨(かなしみ)を銷(け)す花か。
確か、遠く東の国の皇帝が、桃の花を見るとかなしみもきえると言ったという故事によるものだな。」
そこまで言って、ふと心配になった。
「秀麗、何か悲しいことでもあったのか?」
なにか消したい悲しみでもあって、桃の花を活けたのだろうか?
そんな絳攸の言葉に、秀麗は、目を丸くして首を横に振った。
「まさか。
こうして官吏として仕事にいそしむことが出来、家に帰れば絳攸さまと過ごすことができる私に、
悲しい事などあるはずもございません。」
絳攸さまの隣にいることができて、わたしはこれ以上ないほど幸せです、
そう言いながら肩に顔を埋めてくる妻が、心の底から愛おしい。
その体をすくい上げ、そっと寝台に横たえてやる。
体重がかからないように気をつけながら、覆いかぶさるように顔を覗き込む。
そっと恥ずかしそうに自分を見上げてくる瞳も、紅などひかずとも濡れたようにつややかな赤い唇も、
全て、自分だけのもの。
そう思うと、喜びがあふれ出てくるようだ。
この気持ちをどうやって伝えればよいだろう?
襟元からわずかにのぞく白い肌。
薄い布を寛げて、今すぐにでも口づけたいという衝動。
だが、確認しておかなければならないことがある。
「秀麗。それではどうして、桃の花など飾ったのだ?」
改めてそう問うと、秀麗は恥ずかしそうな顔をした。
「絳攸さま、理由をお話ししても、お笑いにならないでくださいませ。」
どのような理由か知らないが、恥ずかしそうにそむけた瞳が、
今の絳攸にはいやに扇情的に見える。
そんな自分を抑えるように、声に出して答える。
「あぁ、約束する。笑わない。」
その言葉に安堵したように、しかしその瞳には幾らかの羞恥心を残したままで、秀麗は語り始めた。