燃実 前編
 
 
 
 燃実~もえみ~
 
 
 
 
「黎深!ねぇ、れいし~ん。」
 
「なんだ、騒々しい。」
 
貴陽紅邸には今日も、賑やかなあるじ夫婦の声が響いている。
 
「出かけようよ。」
 
「なぜ、私が出掛けるかどうかをお前に決められねばならん。」
 
普通の人間ならこのあたりでひるむところであろうが、
 
百合は類稀なる黎深耐性を身につけた人間であった。
 
いや、悲しいかな身につけさせられたと言うべきであろうか。
 
何せ、幼い時から譲葉として一緒に育ち、今や彼の妻である。
 
普通の人間なら裸足で逃げ出す重責を、長年負っている人物である。
 
故に、このようなときの対処方法も百合の中の黎深取扱説明書には記載がある。
 
百合はそれを実行した。
 
「おしるこ、一緒に食べようと思ったんだけど。」
 
その方法とはつまり、黎深に流されず、自分の話を続けることである。
 
しかも、おしるこという、黎深の反応するであろう言葉を混ぜ込んで。
 
百合の狙い通り、黎深はおしるこという言葉に興味を示した。
 
その証拠に顔をあげ、口元を扇子で覆い、若干嬉しそうな目元をしながら
 
(ちなみに、この嬉しそうな目元とは、
 
 吏部の人間あたりが見たら冷汗が滝のように流れ落ちる代物である)
 
傲然と言い放った。
 
「まぁ、お前がそこまで頼むのなら、言ってやらんことも無いがな。」
 
こうして彩雲国でも指折りの名家、紅家の当主夫妻は外出したのである。
 
 
 
 
 
 
 
「おい、百合。」
 
軒に揺られながら、黎深は隣に座る妻に問いかける。
 
「なぁに黎深?」
 
聞きたいことが分かっていながら、それでも百合は素知らぬふりで問い返す。
 
「どうしたもこうしたもあるか。これは一体どこに向かっているのだ?」
 
「どこって、郊外の桃園だけど?」
 
「お前が、私とどうしてもしるこを食いたいと臥して頼むから来てやったというのに、
 
これでは話が違うではないか」
 
「おしるこは、食べるよ。でもそれ以外どこにも行かないなんて言ってないじゃないか。
 
いいものを見せてあげるから、少しの間大人しく座っていてよね。」
 
百合にきっぱりと言い切られ、
 
しかししるこは食べるとの言質を取ったことには安堵して、黎深は仕方なく押し黙った。
 
小半時ほど軒の揺られ、たどり着いたのは川べりの桃園。
 
 
 
 
 
白と紅が入り乱れ、匂い立つような香り。
 
「ふん、桃か。」
 
「やっぱり、すももの方が好きだって言うんだろ?」
 
「当然だ。」
 
「そういうと思った。でもね、桃は魔よけだからさ。」
 
「ふん、魔よけなぞ、ばかばかしい。」
 
自らが悪魔のような黎深には、魔よけといってもありがたみも何もあったものではないのだろう。
 
だが、百合にとっては違う。
 
「きみのその性格だとさ、いろいろいらない恨みとか買っちゃってそうだから。
 
迷信に頼ってでも、魔よけの一つでもしておきたくなるんだよ。」
 
「そんなに私が心配か?」
 
答えがわかりきっているというように、自身に満ち溢れた目。
 
その目一つとっても、彼に恨みを持つ者にとっては、憎らしいものに違いない。
 
「心配しちゃ、悪い?奥さんなんだから、心配くらいするよ。」
 
心配はするけど、止めようとは思わない。
 
止められるような男なら、それは紅黎深ではない。
 
譲葉として傍にいた時からずっと、見てきた。
 
兄とその家族以外には興味がない、冷たい人間のように見えて、
 
その実、内面には燃えたぎる炎を秘めた黎深。
 
彩雲国内でも屈指の名家である紅家直系として生を受け、天つ才を持つ男。
 
一見これ以上に恵まれたものなどいないように思われる。
 
けれど、彼にとて苦手なものがあるのだ。
 
それが人の感情である。
 
特に、その種類にかかわらず好意の部類に入るものに対して、黎深はとても不器用だ。
 
傍から見ればとても簡単なことなのに、黎深にはできないことがある。
 
愛情を知らないのではない。
 
伝える術を知らないのだ。
 
百合は付き合いの長さもあり、段々と心得てきた。
 
そして、幸運にも、彼の不器用な表現にも根気良く付き合ってくれる友人もできた。
 
けれど、と百合は思う。
 
絳攸は、自分たちの息子はどうだろうか?
 
 
 
 
 
 
          燃実 後編 へ続く
 
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