拾ってくれた黎深に対して、恩義を感じるがあまりに、黎深に対して踏み込むことができないでいる息子。
百合から見れば、二人はそっくりだ。
大切なものにだけ不器用になってしまう、可愛い自分の家族たち。
けれど、彼らが不器用であることが、かえって自分を幸せにしてくれているとも思う。
間に入ることで二人を結びつけるという役割が、自分に与えられている。
そうやって、血のつながりのない自分たち三人が、家族という一つの輪になることができるのだ。
幼い頃から百合としてと同時に譲葉として育てられていた自分が、
このように穏やかな生活を手に入れることができるなどとは夢にも思わなかった。
そんな諦めていたものを、いとも簡単に与えてくれた黎深。
彼に心配しているといっても、鼻で笑われるだけだろうが、それでも時々心配なのだ。
だけどそんなことはいちいち口などださない。
「桃の花を見たから大丈夫。」
「満足したのか、それでは…」
「わかってるよ。お汁粉でしょ。約束は守るよ。そのかわり、黎深もひとつ約束してよ。」
いそいそと軒に戻ろうとする黎深を後ろから呼び止める。
「……なんだ?」
「最後は必ず帰ってきてね。」
「何の事だかさっぱりわからん。」
百合は黎深に追いつくと、後ろから抱き締めた。背中に顔をうずめ、繰り返す。
「元気で帰ってきてね、それだけでいいから。」
「わけのわからんことを言う奴だな。」
そう言いながらも黎深は、百合がまわした腕に自らのそれを重ね、百合の掌を優しく撫でてくれる。
「奥さんの可愛いわがままだよ。いつも黎深のために頑張って働いてるんだ。
少しくらいわがまま聞いてくれてもいいじゃないか。」
「何を言う。いつも私を放ってばかりなのはお前のほうだろう。」
「ちょっと、きみがそれを言う?君の代理で飛び回っているのにさ!」
「わかっている。だから待っているだろう?」
「待ってるって言っても、三日にあけず、
やれ髪が伸びただのなんだのと手紙を送ってくるじゃないか。」
「夫が妻に手紙を送って悪いのか。」
「わ、悪くはないけど。」
「お前こそ、帰ってこい。」
黎深の言葉の意味を図りかねていた百合は、得心がいった。
やっぱり不器用な黎深。
飛び回る百合の多忙さに心配をしながらも口には出せないそんな人。
だから自分は言葉にしてきちんと伝える。
「うん、帰ってくるよ。黎深のところにね。」
そしてまわした腕に力を込める。
「黎深、おしるこ食べに行こう。」
「当然だ、そのために出かけたのだからな。」
その日の夜、貴陽紅邸のあるじ夫婦のいつになく甘い雰囲気に、
絳攸はもちろん、家人たちも、妙に居心地が悪く、誰も彼もが早々に退出していったという。
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あとがき、という名の言い訳
桃シリーズ第二弾です。
まさかひな祭り当日にUPするのが、黎百だとは…。
しかもなんだかんだでらぶらぶじゃないか。
黎深のくせに。(←本人に知れたら無事でいられない発言)
タイトルについて
ももという言葉の語源の一説として、実が赤いところから「燃実(もえみ)」転じて「もも」となったとのこと。
燃えるという字が、なんだか紅家っぽいので、黎百のタイトルにさせていただきました。
作中では百合さんが、黎深を評して、実は熱い男と言っていますが、
原作中で百合さんが言っていた通り、本当に熱いのは紅家レディースの方だと思います。
百合は勿論、秀麗、そして玉環さままで。世羅はどんな子なんでしょうね。熱い娘っ子だと良いな。
作中でぐだぐだと触れるのもどうかと思い、省略させていただいたのですが、
桃は兆しの木と書くように、古来から中国・そして日本でも魔除けとして特別な果物だったようです。
たとえば国産みのイザナギが黄泉の国に行ってしまったイザナミとの約束を破り、イザナミの醜い姿を目にして逃げ帰る際に
追手に桃の実を投げて難を乗り切ったという話があります。
また、三千代草でも触れましたが、中国でも不老長寿の象徴として扱われています。
そのことが桃の節句の起源ともなっているのでしょうが、
今回は、桃の魔除けとしての意味合いをそのまま、相手の無事を祈る気持ちとして使わせていただきました。
不器用な黎深、黎深に対して素直になれない百合、そしてやっぱり不器用な絳攸。
この三人は誰が欠けてもだめで、三人で初めて家族になれる。鼎のような家族です。